序曲 (アルカン)
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Alkan Ouverture Op.39 no.11 - ジャック・ギボンズによる演奏。ジャック・ギボンズ公式YouTube。 |
序曲(フランス語: Ouverture)作品39-11は、シャルル=ヴァランタン・アルカンが作曲したピアノ独奏のための『短調による12の練習曲』の第11曲。曲集は1857年に発表された。
曲集のなかでは第8曲(『ピアノ独奏による協奏曲』第1楽章)に次いで規模の大きい作品で[1]、演奏や録音の機会は少ない[2][3]。同じ曲集に含まれる『交響曲』と『協奏曲』と並んでピアノによるオーケストラ的な効果を意識した作品であり、森下唯は「アルカンのオーケストラ的書法の到達点」と評している[1]。アメリカの作曲家マーク・スター(Mark Starr)は、『交響曲』『協奏曲』『イソップの饗宴』とともにこの作品を管弦楽編曲している[4]。
楽曲
[編集]主調はロ短調[5]、全体は2曲の『室内協奏曲』と同様の連続した3つの部分[6]と、コーダからなる[7]。演奏時間は15分程度。明確な場面転換が存在し、物語的な要素を意識したロマン派的な序曲スタイルだが、表題的な構想については明らかではない[7][1]。
前奏曲的な最初のマエストーソ部では、弦楽合奏を模した分厚い和音連打(譜例1)と、付点リズムによる荘重な楽想が交代する[8][9]。続く「ゆるやかに」(Lentement)と指示された抒情的な部分では、新しく現れた主題が繊細な装飾を伴って進み、前の部分とコントラストを形作る[8]。
譜例1
三つの対照的な主題が現れる[9][10]第3部の大規模なアレグロ(譜例2)では、ソナタ形式によって楽想が扱われるが、再現部は大幅に切りつめられている[8][11]。後になると複数の主題が対位法的に組み合わされる場面(譜例3)も現れる[7]。序奏の終結部の動機を流用したコーダは同主調のロ長調、勇壮な狩りのリズムにより[7]、鍵盤の両端近くを使った和音で終結する[12]。
譜例2
譜例3
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 森下唯 (2017). "プログラムノート". アルカン ピアノ・コレクション3 《風のように》(CD) (booklet). コジマ録音.
- ^ Peter Grove. “The Alkan Society, Bulletin No. 50 - April 1995”. Alkan Society. p. 2. 2022年5月23日閲覧。 Peter Grove. “The Alkan Society, Bulletin No. 51 - October 1995”. Alkan Society. p. 6. 2022年5月23日閲覧。
- ^ イギリスのアルカン協会(Alkan Society)が作成したディスコグラフィでは2022年5月時点で4つの録音が挙げられているが、そのうちベルナール・リンガイセン以外の奏者3人は『12の練習曲』の全曲を録音している。“Recordings of Alkan's works”. Alkan Society. p. 18. 2022年5月23日閲覧。
- ^ “The Alkan Society, Bulletin No. 30 - October 1986”. Alkan Society. p. 4. 2022年5月23日閲覧。
- ^ ロナルド・スミスは、同じロ短調の『スケルツォ・フォコーソ』作品34がもともと曲集に含まれており、差し替えが行われたと推測している。Eddie (2007). p. 87
- ^ Ronald Smith (1996). Alkan: 12 Studies in the Minor Keys, Op. 39 (CD) (booklet). Appian Publications & Recordings. pp. 9–10.
- ^ a b c d 森下唯 (2005), アルカン、縛られざるプロメテウス―― 同時代性から遠く離れて――, p. 21
- ^ a b c William Alexander Eddie (2007), Charles Valentin Alkan: His Life and His Music, Ashgate Publishing, p. 71
- ^ a b Keith Anderson (1990). Bernard Ringeissen - Alkan: Symphonie, Ouverture, Two Etudes (CD) (booklet). Marco Polo.
- ^ 不安げな性格の第三の主題は展開部で現れる。Eddie (2007). p. 71
- ^ ロナルド・スミスは、再現部では主題の登場順が入れ替えられていると分析している。Smith (1996). pp. 9–10.
- ^ Joel Ahn (1988), A Stylistic Evaluation of Charles Valentin Alkan's Piano Music, North Texas University, p. 40