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庭田 源子(にわた もとこ、1479年(文明11年) - 1526年5月24日(大永6年4月13日))は、後柏原天皇の典侍。父は権大納言の庭田雅行。源源子とも呼ばれる。新典侍局と称した。
権大納言の庭田雅行の娘として生まれる[1]。
後柏原天皇の典侍となり、2皇子(覚道法親王・寛恒親王)と1皇女(覚音女王)を儲ける。1526年(大永6年4月13日)、死去[2]。従五位下。贈従二位。
- ^ “庭田家(羽林家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月19日閲覧。
- ^ 「日本史資料総覧」(東京書籍、1986年)