康祐碩
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カン・ウソク 康祐碩 | |
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生年月日 | 1960年11月10日(64歳) |
出生地 | 韓国 慶尚北道 慶州市[1] |
職業 |
映画監督 脚本家 プロデューサー |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1989年[1] - 現在 |
康祐碩 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 강우석 |
漢字: | 康祐碩[2] |
発音: | カン・ウソク |
英語表記: | Kang Woo-suk[2] |
康 祐碩(カン・ウソク、강우석、1960年11月10日[1] - )は、韓国の映画監督、脚本家、プロデューサー。シネマ・サービス代表、カン・ウソク シネマ・アカデミー代表。慶尚北道慶州市出身。映画監督としての代表作は『シルミド』、『韓半島 -HANBANDO-』ほか。『シルミド』は韓国で1000万人以上を観客動員し、2003年当時、韓国の観客動員数歴代1位を記録した。
略歴
[編集]- 成均館大学校 英語英文科 中退
- 1983年『愛馬夫人2』監督 チョン・インヨン(정인엽)(原題:애마부인2) - 演出部として初参加
- 1986年『踊る娘』監督 ノ・ジェハン (노세한)(原題:춤추는 딸)- 初脚本担当
- 1988年『甘い花嫁たち』(原題:달콤한 신부들) - 初監督作品
- 1992年『ミスターマンマ』(原題:미스터 맘마) - 初プロデューサー(兼 監督)作品
- 1993年 カン・ウソク プロダクション(강우석 프로덕션)を設立 (映画製作および配給業)
- 1995年 シネマ・サービス(시네마서비스)に社名を変更
- 2005年 5月 シネマ・サービス - 自己の映画製作に専念するため、会社経営から一時離脱
- 2006年 12月 シネマ・サービス - 経営改善のため、経営者として復帰
- 2008年 シネマ・サービス - 組織の大幅な構造改革に着手
フィルモグラフィ
[編集]監督
[編集]- 『甘い花嫁たち』(原題:달콤한 신부들)(1988年)
- 『幸せは成績順位ではないでしょう』(原題:행복은 성적순이 아니잖아요)(1989年)
- 『私は日々立ち上がる』(原題:나는 날마다 일어선다)(1990年)
- 『十九歳、絶望の果てで歌うひとつの愛の歌』(原題:열아홉 절망 끝에 부르는 하나의 사랑노래)(1991年)
- 『誰が竜の足の爪を見たのか』(原題:누가 용의 발톱을 보았는가)(1991年)
- 『二十歳まで生きていたい』(原題:스무살까지만 살고 싶어요)(1991年)
- 『ミスターマンマ』(原題:미스터 맘마)(1992年)
- 『ツー・コップス』(原題:투캅스)(1993年)
- 『女房殺し』(原題:마누라 죽이기)(1994年)
- 『ママに恋人ができました』(原題:엄마에게 애인이 생겼어요)(1995年)
- 『ビールが恋人よりいい七つの理由』(原題:맥주가 애인보다 좋은 7가지 이유)(1996年)
- 『ツー・コップス2』(原題:투캅스2)(1996年)
- 『ホリデーイン・ソウル』(原題:홀리데이 인 서울)(1997年)
- 『生寡婦慰謝料請求訴訟』(原題:생과부 위자료 청구소송)(1998年)
- 『公共の敵』(原題:공공의 적)(2002年)
- 『シルミド』(原題:실미도)(2003年)
- 『公共の敵2 あらたなる闘い』(原題:공공의 적2)(2005年)
- 『韓半島 -HANBANDO-』(原題:한반도)(2006年)
- 『カン・チョルジュン 公共の敵1-1』(原題:강철중: 공공의 적1-1)(2008年)
- 『黒く濁る村』(原題:이끼)(2010年)
- 『ホームランが聞こえた夏』(原題:글러브)(2010年)
- 『フィスト・オブ・レジェンド』(2013年)
- 『古山子 王朝に背いた男』(2016年)
製作
[編集]製作総指揮
[編集]- 『ARAHAN/アラハン』(2004年)
- 『彼とわたしの漂流日記』(2009年)
企画
[編集]- 『彼女を信じないでください』(2004年)
受賞歴
[編集]- 第25回(2004年)監督賞 『シルミド』
- 第45回(2009年)映画部門 大賞『カン・チョルジュン 公共の敵1-1』
- 第40回(2004年)映画部門 大賞『シルミド』
- 第30回(1994年)映画部門 大賞『ツー・コップス』
- 第18回(2010年)最優秀作品賞、監督賞(その他、5部門受賞)『黒く濁る村』
- 第14回(2006年)監督賞『韓半島 -HANBANDO-』
- 第14回(2006年)最優秀作品賞『韓半島 -HANBANDO-』
- 第12回(2004年)審査委員特別賞『シルミド』
- 第17回(1993年)監督賞『ミスターマンマ』
『韓半島 -HANBANDO-』問題
[編集]韓国で2006年7月に公開された映画『韓半島 -HANBANDO-』は、日本で波紋を呼んだ。共同通信は「行きすぎた反日と愛国心に訴え、議論が広がっている」、読売新聞は「日本が悪役に登場する『韓半島』の興行が注目されている」と報じた。また西日本新聞は2006年7月17日に「大ヒット!?究極の反日映画 『韓半島』にドッと観客 日韓武力衝突シーンが話題」なる見出しの記事を掲載した。映画が日本未公開であったにもかかわらず、日本テレビの報道番組『真相報道 バンキシャ!』や読売テレビの『たかじんのそこまで言って委員会』等でも取り上げられた[3][4]。
なお同作は、日本では劇場公開されず、2011年11月2日にDVDが発売された。
脚注
[編集]- ^ a b (カン・ウソク) KMDb 2011年8月21日閲覧。
- ^ 康祐碩氏『韓半島』は反日映画ではない 中央日報日本語版 (2006年7月31日)
- ^ 日 ‘한반도’ 때리기, 일본언론들 비난공세 NAVER 뉴스(ニュース)(2006年7月18日)(韓国語)