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弁華別神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
弁華別神社

弁華別神社

地図
所在地 北海道石狩郡当別町弁華別435番地2
位置 北緯43度15分35.7秒 東経141度31分31.6秒 / 北緯43.259917度 東経141.525444度 / 43.259917; 141.525444 (弁華別神社)座標: 北緯43度15分35.7秒 東経141度31分31.6秒 / 北緯43.259917度 東経141.525444度 / 43.259917; 141.525444 (弁華別神社)
主祭神 神武天皇媛蹈鞴五十鈴媛尊
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弁華別神社(べんけべつじんじゃ)は、北海道石狩郡当別町弁華別に所在する神社。『当別町史』には弁華別橿原神社の名で記載されている[1]

祭神は神武天皇と、その皇后である媛蹈鞴五十鈴媛尊(ひめたたらいすずひめのみこと)の2柱[1]

歴史

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1886年(明治19年)7月、弁華別開拓の指導者だった柴藤善三郎が、東京にて39歳で客死した[2]。彼をしのんだ弁華別の人々は、1893年(明治26年)8月9日に「柴藤善三郎之碑」を建立し、以後毎年8月のお盆には祭事を行うようになった[1]

1905年(明治38年)、神武天皇および皇后を祀り、橿原神宮の遥拝所となる[1]

1910年(明治43年)、拝殿を新築して弁華別橿原神社と称した[1]

1932年(昭和7年)、弁華別開拓50年記念事業の一環として神殿を改築し、神社としての体裁を整えた[1]

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柴藤善三郎之碑
1893年(明治26年)8月9日建立。この神社の礎となった。
地鎮碑
1895年(明治28年)9月建立[3]
1925年(大正14年)、台座が寄進される[3]
1929年(昭和4年)、改造建立される[3]
馬頭観音碑
1921年(大正10年)4月建立[3]
弁華別開拓記念碑
1932年(昭和7年)9月3日建立[4]。阿蘇岩産の石が用いられた[4]
篆額は伊達正人男爵、碑文は当別村戸長を務めた鮎田小隅による[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 当別町史 1972, p. 724.
  2. ^ 当別町史 1972, p. 158.
  3. ^ a b c d 当別町史 1972, p. 725.
  4. ^ a b c 当別町史 1972, p. 160.

参考文献

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  • 『当別町史』1972年5月30日。 

外部リンク

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