弱きを助け強きを挫く
弱きを助け強きを挫く(よわきをたすけつよきをくじく)は、歌舞伎からのことわざ。
概要
[編集]弱い者を救い、横暴な者を懲らしめるということを意味する。任侠の気風というのはこれに当てはまる[1]。
歴史
[編集]明治の初頭に上演された『川中島東都錦絵の二幕』という歌舞伎の演目の台詞にこの言葉があり、これがこのことわざの由来である。ここでは武道の極意とはどういうものであるかが述べられており、それは弱きを助け強きを挫くということであった。上杉謙信というのは義によって立ち、弱きを助け強きを挫くという人物であった。だがこのような理由ではなくても武田信玄の勢力圏が信濃の北部にまで出来上がるのを嫌い、信濃と越後の国境の善光寺平を流れる犀川と千曲川が合流する地点の三角洲である川中島に出陣していた[2]。
侠客ともいう男伊達とは、弱きを助け強きを挫く者であり、命を捨てても信義を重んじる[3]。任侠の徒である。歌舞伎の演目の主役にたびたび選ばれている侠客は弱きを助け強きを挫くことを主義としている[4]。侠客というのは職業ではなく、人の種類を意味する言葉であった。幸田露伴によるとこのような種類の人の職業は3つの種類に分けられ、武士の横暴に対抗した気概のある町人、口入、ヤクザの3つであった。この3つはいずれも歌舞伎の演目となっており、わが身を省みず義理と名誉と人のために一肌脱いでいた[5]。
映画においても弱きを助け強きを挫くという内容の作品は数多くあった。高倉健が主演であった映画は弱きを助け強きを挫くという内容であり、1960年代の学生たちの反体制運動と共鳴するかのように熱狂的な支持を集めていた。1960年代というのはテレビ放送が影響力を加速させていき、映画の観客動員数はピーク時の半分以下にまで落ち込んでいた。このような時代に高倉健の弱きを助け強きを挫くという内容の映画は映画の低迷とは反比例であるかのような人気を博していた[6]。
脚注
[編集]- ^ デジタル大辞泉. “弱きを助け強きを挫く(ヨワキヲタスケツヨキヲクジク)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年9月18日閲覧。
- ^ “「弱きを助け強きを挫く」の意味と使い方や例文!(語源由来・類義語) – 語彙力辞典”. proverb-encyclopedia.com. 2024年9月18日閲覧。
- ^ 小項目事典,日本大百科全書(ニッポニカ),世界大百科事典内言及, デジタル大辞泉,精選版 日本国語大辞典,ブリタニカ国際大百科事典. “男伊達(オトコダテ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年9月18日閲覧。
- ^ “歌舞伎用語案内”. enmokudb.kabuki.ne.jp. 2024年9月18日閲覧。
- ^ “「俠客」|歌舞伎美人”. 歌舞伎美人 (2008年10月2日). 2024年9月18日閲覧。
- ^ “高倉健と小田剛一(文化人編)”. 明治大学. 2024年9月18日閲覧。