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張翼鉉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

張 翼鉉(チャン・イッキョン、朝鮮語: 장익현/張翼鉉1918年9月17日 - 2000年10月7日)は、大韓民国公務員政治家。白翎面長、第5代韓国国会議員。

本貫羅州張氏朝鮮語版[1]静波(チョンパ、정파/靜波)。

経歴

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日本統治時代の黄海道長淵郡白翎面南浦里長村(京畿道を経て現・仁川広域市甕津郡白翎面南浦里長村)出身[1]。龍湖島水産学校(現・仁川海洋科学高等学校朝鮮語版)卒。白翎島漁業組合理事を務めながら、それまでの白翎高等公民学校での限界を超えた教育機会を島民に提供するためソウル市龍山区で島民向けの合宿所の「白翎学舎」を設置したほか、1955年ごろに自身が期成会長を務め、白翎中学校朝鮮語版の設立にも関わった[2]。1960年7月29日の第5代総選挙では民主党孫致浩朝鮮語版に33票差で敗れて次点で落選したが、松林面の小延坪島の島民106人が風浪のため大延坪島の投票所に投票できなかったにもかかわらず孫の当選が決められたため、大法院の当選無効判決により同年12月30日の再選挙で孫を抑えて当選した[3][4]。しかし、翌年の5・16軍事クーデターにより失職した。そのほか、白翎面長(1955年〜1958年)、海西養材学舎理事長、甕津郡内務課長、甕津郡産業課長を歴任した[1][5]

2000年10月7日午後7時ごろに富川市カトリック大学校附属聖歌病院で死去[6]

脚注

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  1. ^ a b c 인천 섬을 가다 50 -남포리 장촌(長村) 이야기” (朝鮮語). www.kgnews.co.kr (2021年10月27日). 2024年3月9日閲覧。
  2. ^ [김석훈의 보물섬] 백령중학교의 설립 과정” (朝鮮語). 인천일보 (2022年8月30日). 2024年3月9日閲覧。
  3. ^ 七(칠)·29選訴甕津一部選擧無効(선소옹진일부선거무효)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1960年12月13日). 2024年3月9日閲覧。
  4. ^ 張氏(장씨)가當選(당선)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1960年12月31日). 2024年3月9日閲覧。
  5. ^ 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2024年3月9日閲覧。
  6. ^ [부음] 장익현 제5대 국회의원 별세 外” (朝鮮語). 중앙일보 (2000年10月9日). 2024年3月9日閲覧。