張英 (清)
張 英(ちょう えい、? - 1708年(康熙47年))は、清の政治家。字は敦復、号は圃翁。安徽省安慶府桐城県の出身。次男は雍正年間の大学士の張廷玉。
姓名 | 張英 |
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読み・ピンイン | ちょう えい〔Zhāng Yīng〕 |
時代 | 清 |
生没年 | ? - 1708年(康熙47年) |
字・別号 | 字:敦復、号:圃翁 |
出身地 | 安徽省安慶府桐城県 |
職官 | 文華殿大学士兼礼部尚書 |
爵位・号等 | - |
陣営・所属等 | |
家族・一族 | 次男:張廷玉 |
詩作
[編集]禮讓
千里修書只爲牆,
讓他三尺有何妨。
長城萬里今猶在,
不見當年秦始皇。
千里 書を修すは 只だ牆の爲,
他(かれ)に 三尺を讓るも 何ぞ妨(さまた)げ有らんや。
長城 萬里 今 猶ほ在るも,
見えず 當年の 秦始皇。[1]
経緯:郷里で屋敷の境界を繞っての諍いがあり、都で官員になっている張英に、掩護を求めてきた。それに対しての返事の詩。この詩の意を解した郷里では、塀を三尺さげた。その行為に対して、隣家でも塀を三尺後退させた。結果、道幅は幅広い一丈六尺となり、その徳行が称えられたという、故事の詩。今はこのところが六尺巷と言われている。
訳註:
※千里修書只爲牆:はるばると手紙を書いて(寄こした)のは、ただ土塀のためだけ(だったのか)。 ・千里:長大な距離をいう。はるばると。 ・修書:手紙を書く。 ・只:ただ…だけ。 ・爲:…のため。 ・牆:かきね。土塀。
※讓他三尺有何妨:そちらさんに一メートルばかり譲るのが、いったいどのような妨(さまた)げとなるのか。いったい、どんな困ることがあるというのか。 ・讓:ゆずる。 ・他:彼。三人称。 ・三尺:約1メートル。清代の1尺は、32cm。 ・有何妨:いったいどのような妨(さまた)げとなるのか。どんな困ることがあるというのか。 ・妨:妨(さまた)げ。じゃま。
※長城萬里今猶在:長城の万里(の規模)は、今もなお存在しているが。 ・長城:万里の長城。 ・萬里:果てしもない長さ。 ・猶:なおも。今に到るまでずっと。 ・在:存在している。
※不見當年秦始皇:(それを造った)そのかみの秦の始皇帝の姿は見えなくなっている。万里の規模を造れる者でさえ、人の営みははかないものなのだ。ましてや、僅かな土塀で愚かしいことを言うな。 ・不見:いなくなる。 ・當年(たうねん):往時の。当時の。その頃の。そのかみの。 ・秦始皇:秦の始皇帝。ここでは、万里の長城を築いた者の意で使われている。[1]