強衛
強 衛 | |
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生年月日 | 1953年3月(71歳) |
出生地 | 中国 江蘇省無錫市 |
出身校 |
中国政法大学 中国科学技術大学 |
所属政党 | 中国共産党 |
江西省人民代表大会常務委員会主任 | |
在任期間 | 2013年4月 - 2017年1月 |
中国共産党江西省委員会書記 | |
在任期間 | 2013年3月 - 2016年6月 |
中国共産党青海省委員会書記 | |
在任期間 | 2007年3月 - 2013年3月 |
青海省人民代表大会常務委員会主任 | |
在任期間 | 2007年6月 - 2013年3月 |
強 衛 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 強 衛 |
簡体字: | 强 卫 |
拼音: | Qiáng Wèi |
和名表記: | きょう えい |
強 衛(きょう えい、1953年3月 - )は、中華人民共和国の官僚・政治家。江蘇省無錫市出身。元青海省党委員会書記、同省人民代表大会常務委員会主任、同省軍区党委員会第一書記、江西省党委員会書記、同省人民代表大会常務委員会主任、同省軍区党委員会第一書記。中国共産党第16期中央候補委員、17期、18期中央委員。第13期全国政治協商会議常務委員。
経歴
[編集]1953年3月、江蘇省無錫市で生まれる。1969年1月に中国人民解放軍入隊。1975年3月に中国共産党入党。1975年4月退役後は北京市の国有企業である北京化工場技術員として就職し、昇進を重ねて党委員会書記となる。
1987年6月、中国共産主義青年団北京市委員会書記に就任。1990年12月、北京市石景山区党委員会書記、同区人民代表大会常務委員会主任に転任。1993年3月、北京市城建工党委員会書記に転任。1994年3月、中国共産党北京市委員会宣伝部部長に転任。1996年3月、中国共産党北京市政法委員会書記に転任。1999年3月、北京市公安局局長を兼務。さらに2001年3月には北京市党委員会副書記を兼任する。2001年8月に北京市公安局局長を解任された。2005年12月、中国共産党北京市規律検査委員会書記を兼務、2006年11月を退く。
2007年3月、青海省党委員会書記に昇格。4月、同省人民代表大会常務委員会党組書記、同省軍区党委員会第一書記を兼務。さらに6月には同省人民代表大会常務委員会主任を兼任する。
2013年3月、江西省党委員会書記、同省人民代表大会常務委員会党組書記に転任[1]。4月、同省人民代表大会常務委員会主任を兼務。さらに5月には同省軍区党委員会第一書記を兼任する。2016年7月、第12期全国人民代表大会内務司法委員会副主任委員兼江西省人民代表大会常務委員会主任に任命[2][3]。
2018年3月、中央に移り、第13期全国政協社会和法制委員会副主任に就任。
出典
[編集]- ^ “強衛因年齢原因不再擔任江西省委書記、鹿心社接任” (中国語). 澎湃新聞. (2016年6月30日) 2021年11月1日閲覧。
- ^ 伊一 (2017年1月18日). “強衛辞任江西省人大常委会主任 洪礼和、魏小琴辞任副主任” (中国語). ce.cn 2021年11月1日閲覧。
- ^ 荘彧 (2016年7月4日). “強衛任全国人大内務司法委員会副主任委員 原任江西省委書記” (中国語). ce.cn 2021年11月1日閲覧。
党職 | ||
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先代 李志堅 |
中国共産党北京市委員会宣伝部部長 1994年3月-1996年3月 |
次代 龍新民 |
先代 汪統 |
中国共産党北京市委員会政法委員会書記 1996年3月-2002年5月 |
次代 吉林 |
先代 龍新民 |
中国共産党北京市委員会専職副書記 2001年3月-2007年3月 |
次代 程世峨 |
先代 吉林 |
中国共産党北京市委員会政法委員会書記 2004年4月-2007年3月 |
次代 王安順 |
先代 陽安江 |
中国共産党北京市規律検査委員会書記 2005年12月-2006年11月 |
次代 馬志鵬 |
先代 趙楽際 |
中国共産党青海省委員会書記 2007年3月-2013年3月 |
次代 駱恵寧 |
先代 蘇栄 |
中国共産党江西省委員会書記 2013年3月-2016年6月 |
次代 鹿心社 |
官職 | ||
先代 張良基 |
北京市公安局局長 1999年3月—2001年8月 |
次代 馬振川 |
議会 | ||
先代 趙楽際 |
青海省人民代表大会常務委員会主任 2007年6月—2013年3月 |
次代 駱恵寧 |
先代 蘇栄 |
江西省人民代表大会常務委員会主任 2013年4月—2017年1月 |
次代 鹿心社 |