弾正尹
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弾正尹(だんじょうのかみ/だんじょういん)は、律令制度における弾正台の
平安時代の9世紀初頭に令外官の検非違使が設置された後は、皇族に与えられる名誉職のようになり、実権はあまりなかった。
しかも、長元3年(1030年)に薨去した清仁親王以降の皇族の任官はなく、12世紀・13世紀には公卿からの任官も無い状態であった。正安4年(1302年)に村上源氏の土御門雅房が任じられて復活するが同年に死去、皇族では元応元年(1319年)に忠房親王が任命されている[1]。
しかし1879年(明治12年)、太政官制のなかで官庁としての弾正台が復活すると、長官である弾正尹には九条道孝が就任した。
脚注
[編集]- ^ 松薗斉『王朝時代の実像15 中世の王家と宮家』(臨川書店、2023年) ISBN 978-4-653-04715-5 P141・144-145.