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後藤久美子 気まぐれスケッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
後藤久美子 気まぐれファンタジア

後藤久美子 気まぐれスケッチ
ジャンル トーク番組
放送方式 録音
放送期間 1987年4月6日 - 1987年10月1日(気まぐれファンタジア)
1987年10月11日 - 1988年3月27日(気まぐれスケッチ)
放送時間 月曜 - 木曜 24:30 - 24:40
日曜日 21:00 - 21:30
放送局 ニッポン放送
ネットワーク NRN系列
HBCSBSCBCRNBRKCKBC
『気まぐれスケッチ』のみ)
パーソナリティ 後藤久美子
テーマ曲 中村由利子「ファンタジア」(アルバム「風の鏡」所収)
提供 JR東日本
(『気まぐれスケッチ』のみ)
テンプレートを表示

後藤久美子 気まぐれスケッチ(ごとうくみこ きまぐれスケッチ)は、1987年10月11日から1988年3月27日までニッポン放送で放送されていたラジオ番組パーソナリティ後藤久美子。放送時間は毎週日曜日 21:00 - 21:30。

これより前に1987年4月6日から1987年10月1日までは同じ後藤久美子のパーソナリティで「後藤久美子 気まぐれファンタジア」(ごとうくみこ きまぐれファンタジア)のタイトルで毎週月曜 - 木曜 24:30 - 24:40の枠で放送されていた。本項ではこの両者について説明。

概要

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1987年4月6日から、月曜から木曜の24:30からの10分の帯番組(『HITACHI FAN! FUN! TODAY』と『ぽっぷん王国』の間の枠)で「気まぐれファンタジア」としてスタート。6か月後の同年10月11日から、毎週日曜日21:00からの30分番組にリニューアルし「気まぐれスケッチ」に改題した。

番組構成は主にフリートークと、リスナーから寄せられたはがきの紹介[1]。この他、一人芝居のコーナーなどがあった[2]

『気まぐれスケッチ』になってからはJR東日本[注釈 1]一社提供番組となった[3]。そのため、気まぐれスケッチになってからははがきを読まれたリスナーに番組特製オレンジカードが贈られていた。

この番組タイトルについて後藤は「私、気まぐれでも何でもないのに」と言っていたことがあるという[4]

後藤は当時13歳で、当時日本最年少のラジオパーソナリティであった[注釈 2][2]。なお、この番組以降後藤がメインパーソナリティを務めたラジオ番組は無い。

ネット局

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(1987年10月 - 1988年3月「気まぐれスケッチ」のみ[注釈 3]

脚注

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注釈

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  1. ^ この番組が始まった1987年に、国鉄分割民営化により当時発足したばかりだった。
  2. ^ これに対して当時日本最年長ラジオパーソナリティだったのは、新潟放送ラジオ『サツと修吾のハッピートーク』に出演していた広川サツで、当時86歳[5]
  3. ^ ネット局各局のエリアは、いずれも本番組スポンサーのJR東日本のエリア外(静岡放送エリアの静岡県の伊豆地方を除く)。いずれの局とも、スポンサーは付いてなかった[6]

出典

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  1. ^ DUNK 1987年12月号「アイドルDJ全員集合っ!秋の新番組・人気番組テッテイガイド」p.90
  2. ^ a b DUNK集英社)1987年6月号「アイドルDJ春の新番組 全員ん〜集合っ!」p.91
  3. ^ ラジオ新番組速報版 1987年秋号 p.82 - 83 ニッポン放送のページ
  4. ^ 明星(集英社)1987年12月号「おかひろみの満腹ラジオ」p.217
  5. ^ ラジオパラダイス 1988年4月号『特集 ラジオ界おもしろ大百科事典 これがラジオのNo.1』p.40「最年長と最年少のパーソナリティって誰?」
  6. ^ ラジオ新番組速報版三才ブックス)1987年秋号 p.58 - 59(北海道放送)、p.106 - 107(静岡放送)、p.110 - 111(中部日本放送)、p.138 - 139(南海放送)、p.140 - 141(高知放送)、p.144 - 145(九州朝日放送)より。
ニッポン放送 月曜 - 木曜 24:30 - 24:40 枠
前番組 番組名 次番組
後藤久美子 気まぐれファンタジア
ニッポン放送 日曜 21:00 - 21:30(ナイターオフ)枠
1987年度
後藤久美子 気まぐれスケッチ