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後藤義光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
後藤利兵衛義光から転送)
後藤義光
ごとうよしみつ
生誕 (1815-01-28) 1815年1月28日
日本の旗 日本 千葉県南房総市千倉町北朝夷
死没 (1902-04-28) 1902年4月28日(87歳没)
日本の旗 日本 千葉県館山市下真倉
墓地 千葉県南房総市千倉町北朝夷 西養寺
国籍 日本の旗 日本
代表作 鶴谷八幡宮小網寺西叶神社など
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後藤 義光(ごとう よしみつ)は、江戸時代末期〜明治時代の宮彫り師。幼名は若松、通称は利兵衛(りへえ)。

幼少期から死没する直前までに多くの作品を手掛け、その数は把握されているだけで100を超える[注釈 1]波の伊八武田石翁と共に「安房の三名工」と並び称される。

生涯

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幼少期

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後藤義光は、1815年(文化12年)1月28日安房国朝夷郡北朝夷村(千葉県南房総市千倉町北朝夷)に生まれた。生家は「弥兵」を屋号とする宮大工である。長男。 幼少より父親の大工道具を器用に操ったといわれ、南房総市千倉町川合には14歳で彫り上げた大黒天像と賓頭盧尊者立像が納められている。天保4年ごろ、誕生寺造営に携わる後藤三次郎橘恒俊と出会った。仕事振りを見ようと毎日のように恒俊の元へ通ったことが、のちの弟子入りに繋がる縁になったと考えられる。

弟子入り、相模での活動

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1837年(天保8年)、23歳で恒俊に弟子入りするために江戸に移る。弟子入りから5年後の28歳で、師匠に代わって西叶神社の彫刻を手掛けた。弟子入り中の代表作にして出世作である。刻銘には「後藤利兵衛光定」を用いた。「光定」の刻銘は30歳まで用いた。最後の作品は菩提寺・西養寺の客殿の龍である。「義光」を名乗るのは32歳からとされている。

帰郷

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1856年(安政3年)、42歳で安房に帰郷する。義光の作品は多くが帰郷後に作られた。代表作である鶴谷八幡宮の格天井「百態の龍」もこのころの作品である(52歳)。義光と生涯に渡る親交を持った人物に金剛宥性がいる。清澄寺の住職にして真言宗智山派総本山智積院の43世化主となった人物である。この交流により義光は、宥性が詠んだ御詠歌の扁額を制作した。安房国108ヶ所の真言宗智山派寺院に奉納されている。また、宥性の依頼で鞍馬寺に「牛若丸と僧正坊図」の大扁額を納めた。

晩年

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78歳には小網寺本堂を手掛けた。義光の龍としては最大級である。この仕事を終えたのち、館山市青柳(現下真倉)に移り住んだ。1902年(明治25年)、門人や友人が義光の米寿を祝って来福寺(館山市長須賀)に寿蔵碑を建立した。お祝いの席の挨拶で、義光は「彫刻師は人にほめられておる時が一番恐ろしい時であり、私は職人として未(いま)だ快心の作を刻んだことがない、これから傑作を作るのだ」[1]と話したといわれている。最晩年の作品は、南房総市二部の勝善寺本堂にある。同年、88歳の生涯を終えた。視力の低下を苦にしてのものといわれている[2]

主要作品年表

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作品一覧
住所 建物/祭礼  内訳  年齢(数え年) 年代
千葉県南房総市千倉町川合 愛宕神社 大黒天像 14 1828
千葉県南房総市千倉町川合 愛宕神社 賓頭盧尊者立像 14 1828
千葉県南房総市千倉町南朝夷 熊野神社 本殿・拝殿 16 1830
千葉県南房総市千倉町大貫 熱田神社 神輿 25 1839
千葉県館山市那古 那古寺  仁王門  27 1841
神奈川県横須賀市西浦賀 西叶神社  本殿、幣殿、拝殿  28  1842
千葉県南房総市千倉町北朝夷 西養寺  旧本堂  30  1844
神奈川県鎌倉市山ノ内 八雲神社  向拝  32  1846
神奈川県横浜市金沢区洲崎町 洲崎神社 獅子頭一対  35  1849
神奈川県横浜市港南区日野 春日神社  本殿、幣殿、拝殿  40  1856
千葉県南房総市千倉町北朝夷 円蔵院  本殿内欄間  45  1859
千葉県館山市八幡 鶴谷八幡宮  格天井、向拝  52  1866
千葉県鴨川市清澄 清澄寺  延命地蔵尊、厨子、梵字額  56  1870
- - 安房国108寺の御詠歌扁額  57〜61  1871〜1875
千葉県南房総市千倉町大川 高塚不動尊奥の院  狛犬  65  1879
京都市左京区鞍馬本町 鞍馬寺  扁額  67  1881
千葉県鴨川市上小原 白滝山不動教会  向拝  70  1884
千葉県南房総市千倉町白間津 日枝神社  向拝  73  1887
千葉県館山市出野尾 小網寺  向拝  78  1892
千葉県館山市北条 蛭子神社/安房国司祭(やわたんまち)  山車  83  1897
千葉県館山市那古 那古観音祭礼  寺赤組 山車  85〜88  1899〜1902
千葉県南房総市二部 勝善寺  向拝  88  1902

脚注

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注釈

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  1. ^ 社寺、神輿、山車、屋台、個人蔵など作品の大小は考慮していない。

出典

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  1. ^ 稲垣 (2013-2: 10頁)
  2. ^ 稲垣 (2013-1: 8頁)

関連書籍

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  • 稲垣祥三『南総の彫工 初代後藤義光 I 神輿・山車・屋台』コアブックス、2013年。 
  • 稲垣祥三『南総の彫工 初代後藤義光 II 社寺・個人蔵』コアブックス、2013年。