後藤舜吉
ごとう しゅんきち 後藤 舜吉 | |
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生誕 |
1934年9月21日 日本 岐阜県 |
死没 | 2022年8月16日(87歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京大学法学部 |
職業 |
チッソ代表取締役社長 JNC代表取締役会長 |
後藤 舜吉(ごとう しゅんきち、1934年9月21日[1] - 2022年8月16日)は、日本の実業家。チッソ代表取締役社長、同取締役会長、JNC代表取締役会長などを歴任した。
来歴・人物
[編集]岐阜県出身[2]。東京大学法学部卒業[3]。1957年(昭和32年)4月、チッソに就職。1979年(昭和54年)6月、取締役に就任。
1993年(平成5年)6月、代表取締役社長に就任。2003年(平成15年)6月、取締役会長に就任[4]。
2011年(平成23年)1月12日、チッソは、水俣病補償業務以外の事業を行う子会社、JNC株式会社を設立。後藤は同社の代表取締役会長に就任した[2]。同年6月、同社の取締役最高顧問に就任[2]。
2013年(平成25年)7月13日放映の『戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第2回 水俣 戦後復興から公害へ』(Eテレ)に出演。番組ディレクターの「初期に水俣病の原因が廃液にあるとわかっていながら、チッソは操業を止めなかったのか」との質問に対し、「わが社が生産しなくなれば客先が困る。サプライチェーンの問題もある。絶対に止められなかったといえば、そんなこともないと思うが、それで大丈夫という判断だったと思う」と答えた[3][5]。
2017年(平成29年)5月12日、チッソは取締役会を開き、後藤の社長復帰を内定した[1]。このニュースは水俣病関係者の間にすぐに広まり、翌5月13日付の毎日新聞は、水俣病被害者互助会事務局長の「また戻ってくるというのは普通ではない」「加害企業を消滅させる分社化計画を進める意図だろうが、水俣病の責任逃れをすることは許されない」とのコメントを報じた[6]。同年6月29日、チッソ社長に就任[1]。
2018年(平成30年)5月1日、水俣病犠牲者慰霊式が水俣市で開催。式後、後藤は取材に応じ、水俣病被害者救済法に盛り込まれたJNC株売却要件の一つである「救済の終了」について「異論はあるかもしれないが、私としては救済は終わっている」と述べた。現在も患者認定を求める人がおり、訴訟も続いていることから、後藤の発言に対し、患者・被害者団体から「加害企業としてあるまじきことだ」と批判の声が上がった[7]。患者団体などでつくる「水俣病被害者・支援者連絡会」が発言撤回と辞任を求めると、同年5月18日、後藤は発言を撤回した。水俣市のチッソ水俣本部で、同社事務部長が連絡会副代表らに対し、発言撤回の文書を読み上げた。辞任要求については、事務部長が「社長は責任を全うするために続ける」と応じない方針を口頭で伝えた[8]。 同年12月21日、取締役会に社長辞任を申し出て、同日、受理された[9]。
2022年8月16日、脳幹梗塞のため、死去。87歳没。訃報は2023年2月18日に公表された[10]。
脚注
[編集]- ^ a b c 役員人事について(お知らせ) 2017年05月12日 チッソ株式会社
- ^ a b c “【新社長】チッソ 後藤舜吉氏”. SankeiBiz. (2017年5月13日) 2021年9月23日閲覧。
- ^ a b 七沢潔「制作者研究NEO <地域にこだわる> 【 第1回 】 吉崎 健(NHK)後編:"水俣"を終わったことにさせない」『放送研究と調査』第69巻第8号、NHK放送文化研究所、2019年、76-99頁、doi:10.24634/bunken.69.8_76、ISSN 0288-0008、NAID 130007709697、2021年9月24日閲覧。
- ^ 後藤舜吉 - チッソ株式会社 (2016年3月期) 役員の略歴
- ^ “戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第2回 水俣 戦後復興から公害へ”. NHK 戦争証言アーカイブス. 2021年9月23日閲覧。
- ^ “チッソ 社長に後藤氏復帰 関係者に驚きの声 「責任逃れ許されない」 /熊本”. 毎日新聞. (2017年5月13日) 2021年9月23日閲覧。
- ^ 田中久稔、奥正光 (2018年5月1日). “水俣病「救済終わっている」チッソ社長発言 慰霊式後に”. 朝日新聞 2021年9月23日閲覧。
- ^ 奥正光 (2018年5月18日). “水俣病原因チッソの社長、「救済終わった」発言を撤回”. 朝日新聞 2021年9月23日閲覧。
- ^ “チッソ後藤社長が辞任 「水俣病救済終了」発言で物議”. 西日本新聞. (2018年12月22日) 2021年9月23日閲覧。
- ^ “後藤舜吉氏が死去 元チッソ社長、水俣病で政治決着”. 日本経済新聞. (2022年8月16日) 2023年2月18日閲覧。
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