後藤達三
後藤 達三 | |
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生誕 |
天保12年5月22日(1841年7月10日) 武蔵国豊島郡江戸 |
死没 |
1892年(明治25年)1月1日 東京府 |
国籍 | 大日本帝国 |
研究分野 | 英学、農学 |
研究機関 | 開成学校、大学校、文部省、正院、内務省勧業寮・勧農局、農商務省農務局 |
プロジェクト:人物伝 |
後藤 達三(ごとう たつぞう[1]、天保12年5月22日(1841年7月10日 - 1892年(明治25年)1月1日)は明治時代の農政官僚。文部省・内務省・農商務省等に出仕し、農書の編纂や総州牧羊場等での事務を行った。
経歴
[編集]開成所・大学校・文部省
[編集]天保12年(1841年)5月22日江戸に生まれ、幕臣として英学・漢学を修めた[2]。
明治元年(1868年)9月20日鎮将府附となり、12月開成学校教授試補、明治2年(1869年)7月少助教、1870年(明治3年)7月大学校少助教を歴任した[2]。1871年(明治4年)7月19日大学校が廃止されると、文部中助教として翻訳に従事し、8月少助教となった[2]。9月一旦辞職した後、10月文部省十等出仕として編輯業務に従事し、1872年(明治5年)9月辞職した[2]。
内務省
[編集]明治5年(1872年)10月正院十等出仕となった[2]。1874年(明治7年)11月内務省十等出仕に転じ、勧業寮工商務課に勤務した[2]。1875年(明治8年)2月農務課、10月第三課に転じ、『斯氏農業問答』を編纂した[2]。同年創立された開農義会に参加し、機関誌『開農雑報』に活発に投稿した[3]。
1876年(明治9年)3月総州牧羊場に出張し[2]、4月全国から生徒を集め、舟木真と共に生徒監督としてアメリカ人技師アップジョーンズの通訳・助手を務めた[4]。1877年(明治10年)1月勧業寮が廃止され、内務五等属として勧農局事務取扱を命じられ、2月牧羊場長補心得となった[2]。1879年(明治12年)4月牧羊生徒の卒業に当たり[4]、牧羊場長岩山敬義・種畜場長奥青輔等と東洋農会を組織して録事となり[2]、1880年(明治13年)1月『東洋農会四季報告』を創刊した[4]。
1879年(明治12年)9月奥青輔の出張に伴い牧羊場長補心得となった[2]。12月内務三等属となり、取香種畜場長心得を兼任した[2]。1880年(明治13年)1月獣医科総括を命じられ、5月陸産課に兼勤し、7月東京に出張した[2]。1881年(明治14年)3月東洋農会と東京談農会が合併して大日本農会となり、創立委員に当選した[2]。
農商務省
[編集]1881年(明治14年)4月勧農局の廃止により農商務三等属となり、農務局に属して下総種畜場に勤務した[2]。5月牧畜掛を兼務し、8月二等属となった[2]。9月大日本農会農芸委員となり、獣医科・牧畜科を担当した[2]。10月東京に出張し、11月文部省御用掛を兼務し、専門学務局に勤務した[2]。1882年(明治15年)1月農務局報告課に転じ、一等属となり、9月下総種畜場に兼勤した[2]。
1883年(明治16年)5月石川県に出張した[2]。7月報告課に戻り、農書編纂掛を兼務し、前田貫一著『農業簿記教授書』を校閲した[2]。1884年(明治17年)7月農書編纂掛兼農務局事務取扱となり、9月畜産諮詢会事務取扱を命じられた[2]。1885年(明治18年)6月種畜場は宮内省に移管された[5]。
1886年(明治19年)1月文部省御用掛を解かれ、農務局編纂課に勤務した[2]。3月課長となり、判任官一等に進んだ[2]。1887年(明治20年)4月大日本農会第18回農産品評会で食用家禽の品評委員を務めた[2]。1889年(明治22年)3月非職となった[2]。
1889年(明治22年)11月花房義質等と日本園芸会を設立し、評議員に当選した[2]。1890年(明治23年)5月広沢安任・与倉東隆・玉利喜造等と日本畜産協会を創立し、10月幹事・会計委員となった[2]。1891年(明治24年)12月中旬病気に罹り、1892年(明治25年)1月1日死去し、4日青山共葬墓地に葬られた[2]。子は2男があり、次男竹次郎が家を継いだ[2]。
著訳書
[編集]- 『訓蒙 博物問答 一名窮理問答続編』
- 1874年(明治7年)東生書屋蔵。英国教会義社訓導委員の命で刊行された博物学書『レッスン・ヲン・ユニブェルス』[9]の翻訳[6]。
- 『斯氏 農業問答』
- 1875年(明治8年)勧業寮蔵版。岩山敬義が岩倉使節団で持ち帰った[10]賢理斯的墳(ヘヌリー・ステフェン)著『実地農業問答』[11]の翻訳[2]。四季の農作業について問答体で記す[10]。
脚注
[編集]- ^ 友田 2009, p. 10.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 大日本農会 1892.
- ^ 友田 2009, p. 6.
- ^ a b c 友田 2009, p. 7.
- ^ 友田 2009, p. 8.
- ^ a b c d 友田 2009, p. 3.
- ^ Julia Corner, The History of Germany, and the German Empire
- ^ 友田 2009, p. 9.
- ^ Committee of General Literature and Education, Lessons on the Universe: The Animal, Vegetable and Mineral Kingdoms; and the Human Form. - Google ブックス
- ^ a b c d 友田 2009, p. 4.
- ^ Henry Stephens, Catechism of Practical Agriculture. - Google ブックス
- ^ 植村 2013, p. 54.
参考文献
[編集]- 「後藤達三君小伝」『大日本農会報告』第131号、大日本農会、1892年6月。
- 友田清彦「明治前期における一農政官僚の足跡と業績 ―農業啓蒙家・後藤達三と農業結社―」『農村研究』第108号、東京農業大学農業経済学会、2009年3月。
- 植村正治「工部大学校書房所蔵の理学図書 ―研究ノートに代えて―」『流通科学大学論集 経済・情報・政策編』第22巻第1号、流通科学大学、2013年7月。