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徐璋珠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

徐 璋珠(ソ・ジャンジュ、朝鮮語: 서장주1920年[1]または1921年7月22日[2][3] - 1989年2月2日)は、日本統治時代の朝鮮独立運動家大韓民国政治家。第2代韓国国会議員[1]

経歴

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慶南梁山郡梁山面南部洞出身。東京高等工業学校在学中の1942年1月ごろから横浜抗日運動を行い、労働者を装って横浜港一帯の合宿所に泊まりながら軍需施設を破壊することを計画していたが、計画の漏洩により1943年12月に逮捕された。拷問された後、1944年12月9日に治安維持法違反の疑いにより懲役2年の刑を受けた。1945年8月15日、解放と共に出獄した[2][3][4][5]

光復後は東萊中学校教員[6]保導連盟梁山指導委員、青年防衛隊梁山郡編隊長を務めた。1950年の第2代総選挙では梁山郡選挙区から無所属国会議員に当選し、後に自由党に入党した[1][3][4][5]。自由党慶南党部副委員長を務めたが[7]、1954年1月末に族青系として除名された[8]

政界引退後は韓一企業社長、ソウル特別市労働副委員長を務めた[9][10]。1989年2月2日、ソウル市内の江南病院で持病により死去。享年68。墓所は大田国立墓地愛国志士墓域にある[11]

賞勲

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エピソード

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第2代総選挙では最年少当選者であった[12]

脚注

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  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年10月26日閲覧。
  2. ^ a b c d 서장주 - 공훈전자사료관”. 2024年10月26日閲覧。
  3. ^ a b c 독립운동인명사전 - 한국독립운동정보시스템”. search.i815.or.kr. 2024年10月25日閲覧。
  4. ^ a b 정도영, “서장주 (徐璋珠)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院), https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0074868 2024年10月26日閲覧。 
  5. ^ a b 서장주 - 디지털양산문화대전”. www.grandculture.net. 2024年10月26日閲覧。
  6. ^ 民衆(민중)의참된代辯者(대변자)가되라”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1950年6月2日). 2024年10月26日閲覧。
  7. ^ 慶南自由黨部結成(경남자유당부결성)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1953年6月17日). 2024年10月26日閲覧。
  8. ^ 自由黨族靑系(자유당족청계) 15議員除名(의원제명)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1954年1月31日). 2024年10月26日閲覧。
  9. ^ 色鉛筆(색연필)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1957年8月31日). 2024年10月26日閲覧。
  10. ^ 來訪(내방)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1966年9月2日). 2024年10月26日閲覧。
  11. ^ 독립有功者徐璋珠(유공자서장주)씨별세”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1989年2月3日). 2024年10月26日閲覧。
  12. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年10月26日閲覧。