徐祥
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徐 祥(じょ しょう、至順3年(1332年) - 永楽2年5月27日[1](1404年7月4日))は、元末明初の軍人。本貫は興国軍大冶県。
生涯
[編集]はじめ陳友諒に仕え、江州で朱元璋に帰順し、功績を重ねて燕山右護衛副千戸に上った。燕王朱棣に謹直を認められて近侍した。建文元年(1399年)、靖難の変が起こると、徐祥は朱棣の起兵に従った。建文4年(1402年)、功績を重ねて都指揮使に累進した。永楽帝(朱棣)が即位すると、徐祥は功を論じられて興安伯に封じられ、奉天翊衛宣力武臣の号を加えられ、1000石の禄を賜り、都督僉事の位を世襲する権利を得た[2]。永楽2年5月丁卯(1404年7月4日)、死去した。享年は73。
孫の徐亨が後を嗣いだ。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『明史』巻146 列伝第34