御坂城
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御坂城 (山梨県) | |
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城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 不明 |
廃城年 | 天正10年(1582年) |
遺構 | 土塁、堀 |
指定文化財 |
富士河口湖町指定史跡[1] 笛吹市指定史跡[2] |
地図 |
御坂城(みさかじょう)は、山梨県笛吹市と南都留郡富士河口湖町の境にあった日本の城。笛吹市側は市指定史跡に[2]、富士河口湖町側は町指定史跡に[1]、それぞれ指定されている。
概要
[編集]築城年代は不明だが、戦国時代に甲斐武田氏が築いたといわれている。 天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍による甲州征伐によって武田氏は滅亡する同年6月、織田信長が本能寺の変に倒れると、相模国の北条氏直、三河国の徳川家康らが甲斐・信濃を巡り争う(天正壬午の乱)。甲斐では七里岩一帯において北条・徳川両氏が対峙し、御坂城は都留郡を制圧した北条軍の前線の城となる。御坂城には北条一族の北条氏忠が修築し、その守備についた。北条・徳川間で和睦が成立すると北条氏は撤兵し、甲斐国は徳川家康のものとなり、城もそのまま廃城となったと思われる。
城地の所在場所は長らく不明であったが、1968年(昭和43年)に御坂城の古地図が発見され、調査の結果遺構も発見された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 笛吹市教育委員会 2017「指定文化財一覧」『笛吹市文化財ガイドブック』p.14 笛吹市