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御室今嗣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
御室今嗣
時代 平安時代初期
生誕 天平勝宝6年(754年
死没 弘仁10年6月21日819年7月16日
官位 従四位下図書守
主君 平城天皇嵯峨天皇
氏族 御室朝臣
兄弟 氏嗣?、是嗣?
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御室 今嗣(みむろ の いまつぐ)は、平安時代初期の貴族朝臣官位従四位下図書守

経歴

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従五位下式部少輔の官位にあった大同3年(808年)に出雲介を兼ねる。大同4年(809年)には二階の昇進により正五位下に叙せられる。この頃、兄弟と思しき氏嗣(従五位上[1])・是嗣(従五位下[2])も順調に昇進しており、嵯峨朝初頭は兄弟揃って優遇されていた様子が窺われる。

大同5年(810年)に発生した薬子の変では、氏嗣・是嗣がいずれも連座して九州地方権官に左遷されるが、今嗣は大学頭として京官に留まった。弘仁3年(812年)図書守に転任し、時期は不明ながら従四位下に至る。

弘仁10年(819年)6月21日卒去。享年66。最終官位は図書頭従四位下。

官歴

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日本後紀』による。

脚注

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  1. ^ 『日本後紀』大同5年4月19日条
  2. ^ 『日本後紀』大同4年12月2日条

参考文献

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