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御宿政綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
御宿政綱
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄11年(1568年
死没 元和9年(1623年
別名 御宿源太
主君 武田信玄武田勝頼板部岡融成松平忠輝
氏族 御宿氏(葛山氏)
父母 父:御宿友綱 母:長坂光堅
兄弟 御宿政友
御宿政秀(善太夫)
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御宿 政綱(みしゅく まさつな、永禄11年(1568年) - 元和9年(1623年))は、戦国時代から江戸時代前期武将

御宿友綱の次男。御宿政友の弟。通称は源太。子に政秀(善太夫)。

略歴

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武田信玄勝頼に仕えた後、武田氏の滅亡に伴い、父と共に後北条氏を頼り、板部岡融成の家臣となり22貫(1貫 = 1~2石)の知行を受けている。

天正18年(1590年)の小田原征伐で後北条氏が没落すると、松平忠輝に仕える。元和2年(1616年)に忠輝は改易されるが、その後の政綱の動向は不明で、他家に再仕官したのか、帰農したのかは定かではない。

元和9年(1623年)に信濃国で死去した。享年56。

その他

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「御宿勘兵衛」の通称で有名な御宿政友は兄であるが、御宿政友の実父は武田信玄六男・葛山信貞だという伝説がある。

参考文献

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