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御手洗辰雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

御手洗 辰雄(みたらい たつお、1895年明治28年)3月23日[1] - 1975年昭和50年)9月7日[1])は、日本ジャーナリスト政治評論家

経歴

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大分県大分市出身[2]旧制大分中学校を経て[3]慶応義塾大学に入るが、1914年大正3年)に中退[1][2][3]。地元の大分新聞(現・大分合同新聞)を経て[1][2][3]、上京し、1917年(大正6年)報知新聞社に入り[1][2][3]、社会部、政治部記者となり[1][3]1922年大正11年)社会部長となる[1][4][5]1928年(昭和3年)に社内紛争のため退社[1][4]。その後は東京毎夕新聞、国民新聞二六新報の各編集局長などを務め[4]、同郷の菊池寛の勧めにより『文藝春秋』に「城南隠士」のペンネームで政治評論を寄稿した[5]1936年(昭和11年)に朝鮮に渡り、京城日報副社長となる[4][注 1]1939年(昭和14年)同社長[1][4][5]1942年(昭和17年)に退社[1]、翌年東京新聞論説委員長となる[1]

戦後、公職追放となり[4]1951年(昭和26年)追放解除[6]。追放解除後は政治評論家となり、選挙制度審議会委員、日本相撲協会運営審議委員会委員、横綱審議委員会委員、東芝機工(株)会長などを歴任した[1][5]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『20世紀日本人名事典 そ~わ』2421頁では「(昭和)9年」。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『20世紀日本人名事典 そ~わ』2421頁。
  2. ^ a b c d 『大分百科事典』752頁。
  3. ^ a b c d e 『日本近現代人物履歴事典』552頁。
  4. ^ a b c d e f 『日本近現代人物履歴事典』553頁。
  5. ^ a b c d 『大分百科事典』753頁。
  6. ^ 『朝日新聞』1951年8月7日2面。

参考文献

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外部リンク

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