御用水跡街園
御用水跡街園 Goyōsuiato Gaien | |
---|---|
所在地 | |
座標 |
北緯35度11分59.60秒 東経136度55分12.58秒 / 北緯35.1998889度 東経136.9201611度 (街園内木津根橋付近・2009年4月) |
駐車場 | 無し |
御用水跡街園(ごようすいあとがいえん)は、愛知県名古屋市北区にある公園。
黒川(堀川)の夫婦橋から猿投橋までの左岸、約1.6kmを整備して設けられたもので、寛文3年(1663年)に名古屋城のお堀の水源として開削された「御用水」に因む[1]。
沿革
[編集]御用水は2014年(平成26年)現在の守山区竜泉寺の南にあった川村付近で庄内川から取水[2][3]。その水を一旦矢田川に流入させて対岸の辻村(2014年(平成26年)現在の北区辻町)から再び取水することで名古屋城まで運ばれたが[3]、13年後の延宝4年(1676年)には伏越(水路トンネル)で矢田川の下をくぐるように改良された[3]。この水の一部は巾下用水として町の人々に使われ、一部は堀川に放流されてその水源となった[3]。
1877年(明治10年)に御用水と並行する形で開削された堀川の猿投橋以北部分は、既存の大幸川を改修した猿投橋から朝日橋までと併せ、担当した愛知県技師の黒川治愿に因み「黒川」と呼ばれるようになった[4]。黒川と並行していた御用水は戦後の水質の悪化などもあって1972年(昭和47年)から埋め立てられたが[5]、その流域の一部が遊歩道を主体とした街園として整備され、1974年(昭和49年)に開放された[6]。ツツジ・ハギ・プラタナス・クスノキ・ヤナギ・サクラなどが散策路に植えられ、園路に用いられている切り石は、当時相次いで廃止されていた名古屋市電の路線敷石が用いられている[6]。近年では桜の名所として市民から親しまれている[1]。
2001年(平成13年)7月以降、庄内川からの導水が行なわれているが[7][8]、街園がある黒川は1998年(平成10年)9月から2001年8月まで上飯田連絡線工事の際に湧出した地下水が放流されて急速に水質が改善したことで耳目を集めた[9]。川面には大型のコイや水鳥などを見ることができる。
アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “黒川 桜のトンネル” (PDF). 堀川1000人調査隊 (2012年1月6日). 2014年7月6日閲覧。
- ^ “北区 6.黒川-江戸時代にもマニアはいた”. 名古屋を歩こう (2004年5月5日). 2014年7月6日閲覧。
- ^ a b c d “沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第2回「お堀や巾下水道へ水を──御用水跡街園」”. Network2010 (2014年2月7日). 2014年12月19日閲覧。 『北区 歴史と文化探索トリップ』pp.90-91に同一内容が収録。
- ^ 『堀川 歴史と文化の探索』p151.
- ^ “名古屋城や巾下水道に水を送った御用水”. 名古屋堀川ライオンズクラブ (2003年5月30日). 2014年7月6日閲覧。
- ^ a b 『堀川 歴史と文化の探索』p257.
- ^ “水量の確保(暮らしの情報)”. 名古屋市 (2011年9月22日). 2014年7月6日閲覧。
- ^ “堀川浄化の社会実験(暮らしの情報)”. 名古屋市 (2011年12月28日). 2014年7月6日閲覧。
- ^ “堀川のあらまし”. 名古屋市緑政土木局河川部堀川総合整備室 (2010年10月14日). 2014年7月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 沢井鈴一・伊藤正博『堀川 歴史と文化の探索』(あるむ)2014年 ISBN 978-4-86333-083-2
- 沢井・伊藤『北区 歴史と文化探索トリップ』(名古屋北ライオンズクラブ)2014年 - 名古屋市鶴舞中央図書館蔵