復員
復員(ふくいん)とは、軍隊の体制を「戦時」から「平時」に戻し、兵を動員状態から服務待機に戻すこと[1]。また、軍務を解かれた兵が帰郷すること[2]。
復員令(ふくいんれい)は、復員を実施するための法令である。
復員兵(ふくいんへい)は、復員した兵士のことである。復員兵、帰還兵の中には、戦場での負傷から重度の身体障害者となった者や、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患っている者も少なくない(傷痍軍人)[3][4]。
各国における復員
[編集]日本
[編集]第二次世界大戦後の日本では、外地派遣軍は現地の連合国軍に降伏し、武装解除を受けたのち内地へ帰還させられることとなったが、このさい内地へ移動したのち復員除隊となったため、軍隊を退職することが復員と解釈されがちであるが本来は復員と除隊・退役は別である[1]。
日本海軍では「復員」ではなく、「解員(かいいん)」と呼ばれた。
日本は太平洋戦争終了後、第一復員省、第二復員省(後に合併して復員庁)を創設して復員作業にあたった。
終戦後も戦争神経症により社会復帰できず治療を受けている者は「未復員」として扱われた[3]。
米国
[編集]アメリカでは1944年に復員兵援護法(the G.I. Bill of Rights)が成立し、多くの退役軍人に高等教育の機会が開かれ、退役後の兵士たちの生活を支えている[5]。
退役軍人組織に関しては、1783年設立のシンシナティ協会(Society of the Cincinnati)、1899年設立の対外戦争退役軍人会(Veterans of Foreign Affairs)、1919年設立の米国在郷軍人会(American Legion)などがある[5]。
11月11日は復員軍人の日(Veteran’s Day)として祝日になっている[5]。
関連作品
[編集]- 小説
- 映画
- 『我等の生涯の最良の年』(1946年、ウィリアム・ワイラー監督)
- 『新悪名』(1962年、森一生監督、大映)
- 『ランボー』(1982年、テッド・コッチェフ監督)
- 『瀬戸内少年野球団』(1984年、篠田正浩監督)
- 『7月4日に生まれて』(1989年、オリバー・ストーン監督)
- 『8月のメモワール』(1994年、ジョン・アヴネット監督)
- 『サイダーハウス・ルール』(1999年、ラッセ・ハルストレム監督)
- 『ある愛の風景』(2004年、スザンネ・ビア監督)
- 『勇者たちの戦場』(2006年、アーウィン・ウィンクラー監督)
- コミック
- 『極東事変』大上明久利
- 『蜜の島』小池ノクト
参考文献
[編集]- 『復員関係史料集成 全12巻』浜井和史編、ゆまに書房、2009年。ISBN 978-4-8433-3288-7
- 陸軍動員計画令(軍令陸甲第46号) 昭18.5.17調製 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “陸軍動員計画令細則/其3/第13章 復員”. 国立公文書館 アジア歴史資料センター. 2023年1月13日閲覧。
- ^ 『広辞苑』第5版、岩波書店、1998年。
- ^ a b 日本放送協会. “50年間、口外してはならない 極秘調査・兵士たちの“心の傷””. NHKニュース. 2021年8月30日閲覧。
- ^ “家族が語る復員兵の『PTSD』 「みんなで死のう」戦争のトラウマで家族に向けた狂気「根っこは戦争。みんなの問題なんだ」 精神に不調きたし入院した日本兵は約1万人|FNNプライムオンライン”. FNNプライムオンライン (2024年8月18日). 2024年10月8日閲覧。
- ^ a b c 中山俊宏、舟津奈緒子. “退役軍人のアメリカ政治における役割”. 公益財団法人日本国際問題研究所. トランプ政権の対外政策と日米関係. 2021年5月6日閲覧。
関連項目
[編集]- 第二次世界大戦後の日本における復員
外部リンク
[編集]- アジア歴史資料センター 終戦70年 インターネット特別展 公文書に見る終戦 -復員・引揚の記録-
- 彷徨する復員兵─黒澤映画のなかの〈幽霊〉を中心に志村三代子、国際日本文化研究センター、2015-01-30