徳川宝子
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徳川 宝子(とくがわ とみこ、1926年(大正15年)6月27日 - 2022年(令和4年)3月21日)は、紀州徳川家第18代当主・徳川剛の妻。父は徳川頼貞。母は徳川為子。伯母は香淳皇后の生母である邦彦王妃俔子。
生涯
[編集]紀州徳川家第16代当主・徳川頼貞の長女として生まれる。また母である徳川為子の姉は香淳皇后の生母である邦彦王妃俔子である[1]。
紀州徳川家の17代当主となっていた兄の徳川頼韶が41歳の若さで亡くなると、母の為子は徳川剛を養子に迎え、同じ時期に宝子と剛は結婚する。しかしその後、夫である剛の経営失敗が原因で夫が失踪したため、離縁する。夫・剛との間には2女(宜子・礼子)を出産し、夫との離縁後は長女の宜子が紀州徳川家の第19代当主を務めている[2]。
2022年(令和4年)3月21日、死去、95歳没。和歌山県海南市の長保寺[3]。
脚注
[編集]- ^ “紀伊和歌山藩主家 紀伊徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年5月18日閲覧。
- ^ 霞会館諸家資料調査委員会編『昭和新修華族家系大成』吉川弘文館、1985年。
- ^ “長保寺で納骨式 紀州徳川家19代当主の母”. わかやま新報. 2023年5月18日閲覧。