徳川治休
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦3年10月7日(1753年11月1日) |
死没 | 安永2年6月14日(1773年8月2日) |
改名 | 熊五郎(幼名)、治休 |
戒名 | 紹隆院 |
墓所 | 愛知県名古屋市の建中寺 |
官位 | 従三位左近衛権中将、右兵衛督 |
藩 | 尾張藩世嗣 |
氏族 | 尾張徳川家 |
父母 | 徳川宗睦、近衛家久長女・転陵院 |
兄弟 | 治休、治興 |
徳川 治休(とくがわ はるよし)は、江戸時代中期の尾張藩の世嗣。官位は従三位・左近衛権中将、右兵衛督。
生涯
[編集]9代藩主・徳川宗睦の長男として誕生。幼名は熊五郎。
明和2年(1765年)に10代将軍・徳川家治に拝謁し叙任する。明和5年(1768年)には家治の次女・万寿姫と婚約した。しかし、婚姻成立前に万寿姫は死去し、治休も家督相続前の安永2年(1773年)、当時の流行病にかかって早世した。享年21。法号は紹隆院。墓所は愛知県名古屋市建中寺。
代わって弟・治興が嫡子となった。