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徳川治休

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
徳川 治休
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦3年10月7日1753年11月1日
死没 安永2年6月14日1773年8月2日
改名 熊五郎(幼名)、治休
戒名 紹隆院
墓所 愛知県名古屋市建中寺
官位 従三位左近衛権中将右兵衛督
尾張藩世嗣
氏族 尾張徳川家
父母 徳川宗睦近衛家久長女・転陵院
兄弟 治休治興
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徳川 治休(とくがわ はるよし)は、江戸時代中期の尾張藩の世嗣。官位従三位左近衛権中将右兵衛督

生涯

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9代藩主・徳川宗睦の長男として誕生。幼名は熊五郎。

明和2年(1765年)に10代将軍徳川家治に拝謁し叙任する。明和5年(1768年)には家治の次女・万寿姫と婚約した。しかし、婚姻成立前に万寿姫は死去し、治休も家督相続前の安永2年(1773年)、当時の流行病にかかって早世した。享年21。法号は紹隆院。墓所は愛知県名古屋市建中寺

代わって弟・治興が嫡子となった。