中院盛子
表示
(徳川盛子から転送)
中院 盛子(なかのいん もりこ、1862年1月16日(文久元年12月17日[1]) - 1883年(明治16年)2月8日[1])は、幕末・明治時代の女性。水戸徳川家11代当主・徳川昭武の妻。父は公卿(盛子の死後に伯爵)中院通富。別名は瑛姫、栄姫。諡は恭哀夫人。
生涯
[編集]中院通富の娘として生まれる。幼少期に徳川昭武の婚約者として水戸徳川家に入り[2]、将来の奥方としての教育を受けつつ、学習院でも学んだ[3]。
明治8年(1875年)に昭武の夫人となり、明治16年(1883年)1月に長女の昭子(松平頼寿夫人)を出産した。しかし産後の肥立ちが悪く、同年2月に盛子は死去した[4]。昭武も5月に家督を甥の篤敬に譲り、隠居した。