徳王稲荷社金刀比羅社
徳王稲荷社金刀比羅社 | |
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金刀比羅社の鳥居 | |
所在地 | 愛知県岡崎市西中町二丁目1番地 |
位置 | 北緯34度57分25.68秒 東経137度10分31.15秒 / 北緯34.9571333度 東経137.1753194度座標: 北緯34度57分25.68秒 東経137度10分31.15秒 / 北緯34.9571333度 東経137.1753194度 |
主祭神 |
宇気比売神、大穴牟遅神、 崇徳天皇、猿田彦神 |
社格等 | 九等級、旧村社 |
創建 | 永正3年(1507年・徳王稲荷社) |
別名 | 徳王神社 |
徳王稲荷社金刀比羅社(とくおういなりしゃ ことひらしゃ)は、愛知県岡崎市に鎮座する神社。通称、徳王神社(とくおうじんじゃ)とも言う。
概要
[編集]岡崎市中心部の西中町に鎮座し、徳王稲荷社と金刀比羅社の2社を合祀している。両社とも1945年(昭和20年)の岡崎空襲により焼失し、1967年(昭和42年)に合祀する形で新たに建立された。
境内には藤棚があり、毎年4月下旬から5月下旬にかけて「藤まつり」が開かれる。
祭神
[編集]- 徳王稲荷社
- 宇気比売神
- 金刀比羅社
境内摂社
[編集]歴史
[編集]徳王稲荷社は、1507年(永正3年)に今川氏親の発願により、稲熊の郷石山の地に稲荷大神が勧請されたのを起源とする。1893年(明治26年)1月3日に両町に移転し、同年1月26日に徳王稲荷社に改称された。1920年(大正9年)4月12日には村社に列せられ、7月9日に神饌幣帛料供進神社に指定された。1945年(昭和20年)7月20日の岡崎空襲により社殿が焼失した。
一方の金刀比羅社は、建保の世(1215年頃)に本間三郎重光の臣伴隼人、北野天神の祠官として奉仕したのが起源とされている。永禄の世(1560年頃)に両町に住む伴孫太郎が徳川家康に弓弦を献じたことにより、弦指屋敷と称せられ、徳川家康も射的のために訪れたとされる。1813年(文化9年)10月に伴氏屋敷内に事比羅大神を奉祀、後に中町に移転した。1945年(昭和20年)7月20日の岡崎空襲により社殿や藤棚が焼失した。
1967年(昭和42年)4月、徳王稲荷社・金刀比羅社の合祀が決定し、元金刀比羅社境内に新社殿を造営した[1]。
祭事
[編集]主な日程
[編集]- 1月1日 - 元旦祭
- 4月11日 - 徳王稲荷社春季大祭
- 4月下旬~5月上旬 - 藤まつり
- 7月7日 - 七夕祭
- 10月10日 - 金刀比羅社秋季大祭
- 12月23日 - 天長祭
- 12月31日 - 大祓式、除夜祭
こんぴらさんの藤まつり
[編集]1945年(昭和20年)7月20日の岡崎空襲により徳王稲荷社・金刀比羅社の両社殿、藤棚が全て焼失した。1967年(昭和42年)に徳王稲荷社・金刀比羅社の合祀により元金刀比羅社境内に新社殿が造営された。その工事に伴い、境内の片隅に根だけ焼け残り蔓を伸ばしていた径5cmほどの藤3株を移植し、棚を設け大切に育てると、奇跡的に往古を偲ばす170cmを超す長藤が復活した。
毎年4月下旬には「東海道一の長藤」と讃えられる「こんぴらさんの藤まつり」が行われる。 5月上旬までは夜間照明が施される。
交通アクセス
[編集]- 名鉄バス「徳王神社前」停留所下車、徒歩で約1分。
脚注
[編集]- ^ “岡崎いいとこ風景ブログ:徳王稲荷社・金刀比羅社”. 岡崎市都市計画課 (2010年2月9日). 2018年4月21日閲覧。