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徳田ザウルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳田ザウルス
本名 徳田 肇
とくだ はじめ
生誕 (1958-12-01) 1958年12月1日
日本の旗 神奈川県横浜市
死没 (2006-03-23) 2006年3月23日(47歳没)
日本の旗神奈川県横浜市
国籍 日本
職業 漫画家
活動期間 1987年 - 2006年
ジャンル 少年漫画
代表作ダッシュ四駆郎
風のレーサー侠
ダッシュボーイ天
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徳田 ザウルス(とくだ ザウルス、本名: 徳田 肇(とくだ はじめ)、1958年12月1日 - 2006年3月23日)は、日本漫画家、3DCGイラストレーター神奈川県横浜市出身。J-Mac理事。

人物・略歴

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大のマシン好きが高じて自動車販売業者に勤務[1]していたが、漫画家を志し退職。愛車もチョッパーバイクやシボレーコルベット、フリートラインなどを好んで乗っていた。

1980年代桜多吾作のアシスタントを務めた後、当時の月刊コロコロコミック編集部が用意した漫画家用執筆室を利用する常連漫画家志望者の1人として、様々な作家の原稿を手伝っていた[2]。またコロコロ内の特集記事ページでイラストカットを手掛けることもあった[3]

1984年頃、開発されたばかりのレーサーミニ四駆のコロコロコミックにおける誌上展開が決定。新しいジャンルを描くに相応しい新人を探していたところ、声が掛かる。上述のような経歴やマシン好きの性分が重なって承諾し、ミニ四駆の研究に明け暮れた末に1987年の『ダッシュ!四駆郎』連載開始に至る[4]

1987年には他にも以下の出来事が集中する。

  • コロコロ本誌のRCカー技術解説ページ『前ちゃん[5]のラジコンスクール』のイラストカットを4月号から翌年3月号まで毎号担当。
  • 夏休み増刊号の読み切り『走れ!前ちゃん[6]』で漫画家デビュー。
  • 本誌11月号の読み切り『前ちゃんのミニ四駆大作戦[7]』を経て、翌12月号から初連載作品『ダッシュ!四駆郎』がスタートする。

デビュー当時の私生活はズボラで、部屋はゴミで足の踏み場も無いほどであった。『四駆郎』第1話の原稿をタミヤ本社に持参した際にも、貧乏でしばらく銭湯に行っていなかったことから、秋の寒空の下に公園の噴水で体を洗ったという逸話がある[8]

『ダッシュ!四駆郎』連載開始後は誌面上で「ミニ四駆デザインコンテスト」を開催し、自ら応募作品を吟味したが「人が乗れないデザインはミニ四駆じゃない」と、自動車としての実用性に欠けるデザインは全て没にするというカーデザイナーのこだわりを見せたという[8]。ちなみにこの時に採用された応募者の一人が当時中学生の武井宏之であり、徳田の死後に『ハイパーダッシュ!四駆郎』を連載する。

ミニ四駆のヒットによりコミックスの印税や自らデザインしたミニ四駆のロイヤリティも入るようになり、当時黎明期だった3DCGに惚れ込んだことで約200万円もの機材を惜しげもなく揃えられるほどの余裕が出来た。また、この頃には原稿が締切に間に合わず、サイン会にて「ライブ執筆」と称して子供達の前で残りの原稿を描きながらサイン会も平行するという手法で乗り切った逸話もある[9]

一方、過食によって体も大きくなっていった。1992年1月28日に急病で倒れ、35日間の意識不明、20日間の危篤状態になり、左足に麻痺が残る。連載中だった『四駆郎』も休載。同年5月5日に復帰[10]。発病前は野菜嫌いの偏食家で、牛丼の具のタマネギすら残すほどだったという[11]

その後も通院や養生をしながら様々な漫画やイラストを執筆し続けていたが、2006年3月23日未明に再び倒れ、同日午前3時5分、急性心不全のため横浜市内の病院で死去。享年47。葬儀は日本キリスト教会鶴見教会で行われた。

妻はイラストレーターの徳田じざべ

作品リスト

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  • ダッシュ!四駆郎

単行本 小学館 てんとう虫コミックス 全14巻

- TVアニメ化もされ、アニメ版では自身をモデルとした登場人物の声も担当していた。

単行本 小学館 てんとう虫コミックス 全1巻

  • 風のレーサー侠 外伝 - ポスターとチラシのみ。

単行本 小学館 てんとう虫コミックススペシャル 全2巻

  • 一着!70キ(いっちゃく!ななまるき)- 別冊コロコロコミックスペシャル 1994年12月号(64号)に前編と1995年2月号(65号)に後編が掲載。世界初のCGミニ四駆漫画。掲載誌には爆走兄弟レッツ&ゴーやGO!GO!ミニ四ファイターなどミニ四駆漫画が並んでおり、徳田のキャッチフレーズは「元祖ミニ四恐竜」となっている。

アシスタント

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脚注

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  1. ^ 『コロコロ創刊伝説』5巻133ページ。それ以前の回で本人の「ホンダに勤めていた」とのセリフもあるが、勤務している業者が描かれたコマの看板の一部に「HOND」とあるので、ホンダの系列自動車販売会社だった模様。
  2. ^ たかや健二 著「コロコロ執筆突撃隊」、塚原正寛・荒木淳・関俊行 編『熱血!!コロコロ伝説』 Vol.2、小学館〈ワンダーライフスペシャル コロコロ30周年シリーズ〉、2007年、221-227頁。ISBN 978-4-09-106343-4 
  3. ^ 1987年頃のビックリマン特集ページなどで確認できる。
  4. ^ 『コロコロ創刊伝説』5巻30ページ、第29話「ミニ四駆開発伝説」。
  5. ^ 前田靖幸。当時のタミヤの開発スタッフの1人で、雑誌やテレビでの製品紹介やイベント司会など広報としても活躍していた。
  6. ^ 『ダッシュ!四駆郎』14巻に収録。
  7. ^ 『ダッシュ!四駆郎』1巻に収録。
  8. ^ a b 『コロコロ創刊伝説』5巻53ページ、第30話「ダッシュ!四駆郎爆走伝説」。
  9. ^ 『コロコロ創刊伝説』5巻136ページ、第32話「漫画家・徳田ザウルス伝説」。
  10. ^ 『ダッシュ!四駆郎』14巻あとがきより。
  11. ^ 『コロコロ創刊伝説』5巻82ページ。

参考文献

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  • コロコロ創刊伝説のむらしんぼ) - 5巻(第28話から第32話)で第1次ミニ四駆ブーム時を描いており徳田が主要人物として登場。特に第32話は「漫画家・徳田ザウルス伝説」として彼の漫画家人生を描いている。