志摩源吉
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志摩 源吉 | |
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生誕 |
1889年1月12日 日本 長野県 |
死没 | 1944年8月7日(55歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1944年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
志摩 源吉(しま げんきち、1889年(明治22年)1月12日 - 1944年(昭和19年)8月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。
経歴・人物
[編集]長野県出身[1]。1911年(明治44年)陸軍士官学校第23期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1][3]。
1934年(昭和9年)3月、陸軍歩兵中佐を経て、1938年(昭和13年)5月に歩兵第120連隊長(第13軍、第116師団、歩兵第20旅団)に任ぜられ、支那事変に出征[1][2]。安慶周辺の警備にあたった[1]。
その後、同年7月に陸軍歩兵大佐、1941年(昭和16年)10月に旭川連隊区司令官、1942年(昭和17年)12月に第71歩兵団長を経て、1943年(昭和18年)3月に陸軍少将に昇進[1][2]。
さらに大東亜戦争に入ると、1944年(昭和19年)2月に第71師団司令部附を経て、同年3月に歩兵第57旅団長(第20軍、第68師団)として湘桂作戦に参戦し、衡陽攻略戦で戦闘指導中に戦死[1]。陸軍中将に特進した[1]。
栄典
[編集]- 勲章
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。