志村景元
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 天正18年(1590年) |
官位 | 肥前守 |
主君 | 後北条氏 |
氏族 | 志村氏 |
子 | 角蔵 |
志村 景元(しむら かげもと)は、戦国時代の日本の武士。肥前守。あきるの市引田の正音寺を開基したとされ、正音寺の裏山「中平」に舘を構えた。八王子城落城にて自刃と伝わる。
概要
[編集]甲斐国都留郡鶴川組生の武田の武士。後北条氏の平山右衛門大夫配下のあきるの市引田村250石。1590年の豊臣秀吉の小田原攻めに際して、八王子城にて自刃した武将と伝わる。
現存する真照寺が所蔵している「猿曳駒(さるひきこま)絵馬」を奉納し、この裏に奉納の際の子細が記載されている。地元にて「馬場坂で馬の訓練をし、乗馬姿の美しい殿様であった」と伝わる。
その他
[編集]この「猿曳駒絵馬」は次男の角蔵が彫って、奉納したものとある。これは柳田國男の「河童駒引」でも引用され、挿絵として使われている。
脚注
[編集]出典
[編集]- 斉藤慎一, 「郷土あれこれ土あれこれ 第28号」, あきるの市, 2016/09