志甫勤一郎
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志甫 勤一郎 | |
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生誕 |
1891年4月21日 日本 東京府 |
死没 | 1969年9月8日(78歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
志甫 勤一郎(しほ きんいちろう、1891年(明治24年)4月21日[1] - 1969年(昭和44年)9月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴・人物
[編集]東京府出身[1][2]。1912年(明治45年)陸軍士官学校第24期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1][3]。
1938年(昭和13年)7月に陸軍工兵大佐・陸軍通信学校研究部主事、1939年(昭和14年)8月に電信第3連隊長、1942年(昭和17年)3月に関東軍通信教育隊長を経て、1943年(昭和18年)3月に陸軍少将に進み、1944年(昭和19年)11月に陸軍通信学校長を経て、終戦を迎えた[1][2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。