怪傑ダントン
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怪傑ダントン | |
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Danton | |
スチル写真 | |
監督 | ディミトリー・ブコエツキー |
脚本 |
ディミトリー・ブコエツキー カール・マイヤー ジョンストン・クレイグ |
原作 |
ゲオルク・ビューヒナー 『ダントンの死』 |
出演者 |
エミール・ヤニングス ヴェルナー・クラウス |
配給 | ウーファ |
公開 |
1921年5月4日 1924年6月26日[1] |
上映時間 | 60分 |
製作国 | ドイツ国 |
言語 | ドイツ語 |
『怪傑ダントン[注釈 1]』(かいけつだんとん、原題:Danton)は、ディミトリー・ブコエツキー監督による1921年のサイレント映画である。出演はエミール・ヤニングス、ヴェルナー・クラウスら。フランス革命期におけるジョルジュ・ダントンとマクシミリアン・ロベスピエールの対立と前者の逮捕・処刑を描く歴史映画である。クレジットによれば原作はゲオルク・ビューヒナーの『ダントンの死』だが、内容は大幅に異なる[注釈 2]。
あらすじ
[編集]ルイ16世の処刑後、国民公会がフランスを統治した。 革命の指導者であるダントン、ロベスピエール、サン=ジュストが権力を掌握し、恐怖政治の波がフランス全土を覆った。しかし革命の行く末をめぐり革命家たちは対立するようになった。その中で、恐怖政治を推進するロベスピエールと流血に終止符を打ちたいダントンは互いに激しく憎み合うようになる。
1794年3月31日、ダントンはデムーランら仲間とともに逮捕され、革命裁判所に連行された。 ダントンは裁判所で激しい演説を行ったが、サン=ジュストやフーキエ=タンヴィルはパンを配ることでダントンを支持する民衆の関心をそらすことに成功した。結局ダントンや仲間たちは死刑判決を受けギロチンにかけられた。
キャスト
[編集]- ダントン: エミール・ヤニングス
- ロベスピエール: ヴェルナー・クラウス
- カミーユ・デムーラン: オシップ・ルニッチ
- マリー=ジャン・エロー・ド・セシェル: フェルディナンド・ヴァン・アルテン
- フランソワ=ジョセフ・ヴェスターマン: エドゥアルド・フォン・ヴィンターシュタイン
- リュシル・デムーラン: シャルロッテ・アンデル
- ジュリア(ダントンの妻)[注釈 3]: マリー・デルシャフト
- バベット(民衆の少女、オリジナルキャラクター): ヒルデ・ヴェルネル
- フランソワ・アンリオ:ヒューゴ・ドブリン
- サン=ジュスト: ロベール・ショルツ
- フーキエ=タンヴィル: フリードリヒ・キューネ
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『快傑ダントン』の表記も見受けられる。
- ^ リュシルを巡る人間関係やエローとバベット(架空の人物)の恋など、本作の内容のうち大半は『ダントンの死』および史実と乖離している。およびまた本作で主要な役割を果たす実在人物のうちヴェスターマンは『ダントンの死』には登場しない。
- ^ 『ダントンの死』におけるダントンの妻ジュリー(架空の人物)あるいは史実のダントンの妻であるルイーズ(および先妻のガブリエル)とは大きく設定が異なる。
出典
[編集]- ^ 山本知佳『興行としてのメトロポリス』(博士(文学)論文)2023年、59頁。doi:10.15006/32665B7401。