恒岡資正
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死没 | 慶長17年(1612年) |
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別名 | 内記 |
戒名 | 盛春 |
墓所 | 牛込松源寺(東京都新宿区) |
幕府 | 江戸幕府大番 |
主君 | 太田氏房、徳川家康 |
氏族 | 太田氏庶流 |
父母 | 恒岡資吉、道祖廉兼の娘 |
子 | 資久 |
恒岡 資久(つねおか すけひさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。
略歴
[編集]最初、太田氏房に仕える。天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐により氏房が失領して高野山に上ると、これに随従する。文禄2年(1593年)氏房が文禄の役に従うために肥前名護屋城に赴くとこれに従うが、氏房は唐津で陣没したため、徳川家康に召し出される。慶長5年(1600年)大番となり350俵を与えられた。
参考文献
[編集]- 「寛政重修諸家譜」巻第254