恒恵
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恒恵(こうえ/ごうえ、永暦元年(1160年)- 建永元年4月29日(1206年6月7日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての天台宗の僧侶。後白河天皇の皇子で、母は兵衛尉平信重の娘・坊門局。通称は岡崎宮。
経歴
[編集]同母兄に円恵法親王と定恵法親王がいるが、彼が親王宣下を受けられなかった理由は不明。
実兄の円恵法親王の門に入り[1]、後に園城寺の法輪院に住み[2]、後に権僧正となる[1]。
建仁元年(1201年)、土御門天皇の護持僧に任じられ、その際に僧正の地位と一身阿闍梨の称号を授けられる[2][1]。
建永元年4月29日(1206年6月7日)、48歳で死去した[2][1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 田中徳定「後白河天皇」志村有弘 編『天皇皇族歴史伝説大事典』(勉誠出版、2008年) ISBN 978-4-585-06063-5 P498.
- 渡邊旭「真禎」『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7 P805.