恩田峰次郎
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恩田 峰次郎[1][2][3][4](恩田 峯次郎[5][6][7][8][9][10]、おんだ みねじろう、1863年5月7日(文久3年3月20日)[11] - 没年不明)は、日本の政治家、地主[1][3][6][7][8][9]、家主[2]。
人物
[編集]東京府・恩田權十郎の二男[6][9][10]。1882年、家督を相続する[6][7][10]。農業を営む[4][5]。池袋村会議員となる[11]。公徳会を組織し、会長をつとめる[11]。北豊島郡長崎村第一耕地整理組合評議員である[11]。住所は東京市豊島区池袋2丁目[3][7][10]。
家族・親族
[編集]- 恩田家
- 父・權十郎[10] - 村長として多年村政に尽瘁した[11]。
- 弟
- 妹[6][9]
- 長男・權次郎(1891年 - ?、メリヤス製造業[7]、東京靴下工業組合代表[8]、地家主[1][9]) - 宗教は日蓮宗[7][8][9]。趣味は園芸、銃猟[7][8][9]。住所は豊島区池袋1丁目[8][9]。
- 二男[8][9]
- 二女[8][9]
- 三女[8][9]
- 孫[10]
脚注
[編集]- ^ a b c 『日本紳士録 第34版』東京オ、ヲの部199 - 200頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月12日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第33版』東京オ、ヲの部211 - 212頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本紳士録 第41版』オ、ヲの部157 - 158頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月21日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第26版』オ、ヲの部161頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月21日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第18版』東京を、お之部199頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月11日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 上』オ263頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第14版 上』オ263頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『大衆人事録 第14版 東京篇』東京253頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『大衆人事録 第12版 東京篇』東京180頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第12版 上』オ271頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月21日閲覧。
- ^ a b c d e 『東京府市名誉録』北豊島郡之部9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 交詢社編『日本紳士録 第18版』交詢社、1913年。
- 交詢社編『日本紳士録 第26版』交詢社、1921年。
- 篠田皇民『東京府市名誉録』東京人事調査所、1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第33版』交詢社、1929年。
- 交詢社編『日本紳士録 第34版』交詢社、1930年。
- 交詢社編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 東京篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。