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恩賜の軍刀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
刀袋に入れた恩賜の軍刀を持つ1930年代前半の陸軍大学校上位卒業者6名(最左の「首席」1名と「優等」5名)。なお、左腰に佩用している軍刀は、各人が元より所有しているもの。

恩賜の軍刀(おんしのぐんとう)とは、大日本帝国陸軍大日本帝国海軍軍学校(特に、陸軍大学校〈陸大〉)において、成績優秀な卒業生に授与された軍刀のこと。

軍刀に加え、短剣・長剣・時計・望遠鏡・双眼鏡などを含めて恩賜品と総称する。ほかに上官が部下などに贈る頒恩賜(わかつおんし)の品もある。

本記事では、「恩賜の軍刀」に限定せず、帝国陸海軍の軍学校における恩賜品について述べる。

概要

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陸大における「恩賜の軍刀」

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軍刀の(ハバキ)の部分に「御賜」(「恩賜」ではない)の刻印があることが「恩賜の軍刀」の名称の謂れである。

陸大の「恩賜の軍刀」は、第7期1891年〈明治24年〉11月28日卒業、卒業時9名)の卒業席次上位3名に、明治天皇から軍刀が下賜されたのが最初である(第1期−第6期は望遠鏡)[1]

その後、陸大の期ごとの人数が50名-60名で推移するようになると[2]、卒業席次上位6名に「恩賜の軍刀」が授与されるのが例となり、この6名が「軍刀組」「恩賜組」と呼ばれた。

御賜の製図用セット

各学校の恩賜品

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陸大の「恩賜の軍刀」が著名であるが、陸軍砲工学校高等科でも同じく軍刀が授与され[3]

であった。

※ 各学校とも、授与される人数、恩賜品には変遷がある。

上記はいずれも将校士官を対象とする軍学校であるが、陸軍の空中勤務者養成課程である陸軍飛行学校海軍の下士官兵搭乗員養成過程である飛行練習生/偵察練習生[10]でも、成績優秀者に銀時計が授与されている。

陸士・航士・陸大・海大では大元帥たる天皇行幸し、自らが侍従武官・校長経由で恩賜品を授与したが、遠隔地にある海兵、および他の学校では皇族侍従武官が代理を務めた。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 秦 2005, pp. 545–611, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧:I 陸軍:1.陸軍大学校卒業生
  2. ^ 山口 2005, p. 59
  3. ^ a b 秦 2005, pp. 636–637, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧:I 陸軍:10.陸軍砲工学校(科学)学校高等科卒業生
  4. ^ 秦 2005, pp. 631–634, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧:I 陸軍:8.地方幼年学校卒業生
  5. ^ 秦 2005, pp. 629–631, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧:I 陸軍:7.中央幼年学校(陸軍士官学校予科)卒業生
  6. ^ 秦 2005, pp. 625–629, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧:I 陸軍:6.陸軍士官学校卒業生
  7. ^ 秦 2005, pp. 635–636, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧:I 陸軍:9.陸軍経理学校卒業生
  8. ^ 『官報(昭和4年7月29日号)』大蔵省印刷局、1929年、764頁。 
  9. ^ 秦 2005, pp. 641–660, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧-II 海軍-1.海軍大学校甲種学生
  10. ^ 森史朗『ミッドウェー海戦:第2部 運命の日』新潮社〈新潮選書〉、2012年、35-37頁。 

参考文献

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関連項目

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