安藤恭子 (元皇族)
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(恭子女王 (閑院宮)から転送)
安藤 恭子 (恭子女王) | |
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閑院宮家、磐城平安藤家 | |
大正時代撮影 | |
続柄 | 閑院宮載仁親王第1女子 |
全名 | 安藤 恭子(あんどう ゆきこ) |
身位 | 女王 →(皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 →(皇籍離脱) |
出生 |
1896年5月13日 |
死去 |
1992年12月28日(96歳没) |
埋葬 | 多磨霊園 |
配偶者 | 安藤信昭 |
子女 |
安藤信敬 菅沼朋子 安藤信和 安藤信暉 佐々木祥子 野井康子 安藤治子 |
父親 | 閑院宮載仁親王 |
母親 | 載仁親王妃智恵子 |
栄典 |
勲二等宝冠章 |
安藤 恭子(あんどう ゆきこ、1896年〈明治29年〉5月13日 - 1992年〈平成4年〉12月28日)は、日本の子爵安藤信昭の夫人[1][2]。元皇族で、旧名は恭子女王(ゆきこじょおう)。閑院宮載仁親王の第1女子。母は、三条実美公爵令嬢・智恵子。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。
生涯
[編集]1896年(明治29年)5月13日、閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第1女子(第2子)として誕生[2]。
1915年(大正4年)、従五位子爵安藤信昭との結婚が決まると、同年8月24日に宮中三殿を参拝し[3]、9月2日には、皇太子裕仁親王から御悦として紅白縮緬が贈られた[4][注 1]。翌9月3日に降嫁した[5]。
1992年(平成4年)12月28日、96歳で逝去した[2]。
系譜
[編集]- この項目は、他に注が無い限りは霞会館 1996, p. 33, 74を参照した。
栄典
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 書籍
- 霞会館『平成新修旧華族家系大成』 上巻、吉川弘文館、1996年。
- 宮内庁『昭和天皇実録』 第二、東京書籍、2015年。ISBN 978-4-487-74402-2。
- 官報
- 『官報』 第917号、1915年8月21日。
- 『官報』 第919号、1915年8月24日。
- 『官報』 第928号、1915年9月4日。