惠美直也
惠美 直也 | |
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2018年2月・豪徳寺「leaf room」 | |
基本情報 | |
生誕 | 1963年10月13日(61歳) |
出身地 | 日本・兵庫県 |
ジャンル | |
職業 | ベーシスト |
担当楽器 | |
活動期間 | 1984年 - |
惠美 直也(えみ なおや、1963年10月13日 - )は、日本のベーシスト。兵庫県出身。CHAGE and ASKAや松山千春など、様々なアーティストのレコーディングやライブのサポートを務める。
来歴
[編集]1963年10月13日、兵庫県宝塚市出身。父親の仕事の関係で[1]5歳までアメリカ合衆国ニューヨークで育つ。その後、神奈川県茅ヶ崎市へ。
中学2年でビートルズに出逢い、ギターの低音弦4本を使いベースラインを弾くようになる。高校では音楽部に入部してバンドを組み、当時の歌謡曲やフォークソングを中心に演奏していた。
卒業後は大学と並行してアン・ミュージック・スクールに通い、鈴木淳に師事。20歳の頃よりプロとして仕事を始める。24歳の頃、オーディションでCHAGE and ASKAのサポートメンバーになる。2009年から 2017年まで 松山千春のサポートメンバーを務める。
人物
[編集]エピソード
[編集]中学3年のとき、好んで聴いていたポール・マッカートニーが弾いているヘフナーを真似て作られたテスコのヴァイオリンベースを駅前の質屋で見つけ、両親に何らかの交換条件付きで2週間後に買ってもらったのが最初のベース。
ベースでプロになろうと思ったのは高校を卒業する頃。複数のバンドから誘われ掛け持ちをする中「頑張ればいけるんじゃないか」と思うようになり、最初からセッションミュージシャンという職人的な存在に憧れがあった。初仕事は19歳くらいの時に学校の先輩から紹介された横浜のキャバレー。ホーンが並ぶビッグバンドでスタンダードやショーの伴奏をした。
ベーシストだけで構成されている「地下室の会」メンバーで会員番号6番[2]。恵美は富倉安生に声を掛けられ参加。番号は三軒茶屋の地下にある飲み屋に来た順に付けられた(1998年2月)[3]。
演奏スタイル
[編集]高低差のあるメロディアスなフレーズや、オーソドックスなベースラインなど、演奏スタイルや奏法は多種多彩。求められるニュアンスや、アレンジャーのこだわりをつかみ、表現する。
デモ音源の仮ベースラインをコピーすることはほとんどなく、様々なベースラインを生み出すメロディーメーカーなベーシストである。
ライブサポート・レコーディング(一部)
[編集]※ベースマガジン2005年5月号に記載されているアーティストのみ記載[4]
aiko、CHAGE&ASKA、KOKIA、MULTI MAX、熊木杏里、斉藤和義、柴田淳、杉山清貴、森山良子
参加グループ
[編集]グループ名 | 参加期間 | 詳細 |
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BLACK EYES | 1987[5][出典無効]~1991年/1995~1999年 | CHAGE&ASKAのサポートバンド。澤近泰輔・菅沼孝三・近藤敬三・十川知司 |
Red Snakes Come on | 1996~1997年 | MULTI MAXのツアーバンド[注 1]。後藤郁美・矢賀部竜成・関淳二郎・佐藤強一・小笠原学 |
Elder Street Boys | 2001年~ | CHAGE&ASKAのサポートバンド。 澤近泰輔・鈴川真樹・狩野良昭・今泉正義・旭純・小笠原学 |
VOTOM | - [注 2] | 渡辺剛の個人プロジェクト。竹中俊二・伊達弦・田中栄二[7] |
THeN | 2012年[注 3]~ | 松山千春のサポートメンバーで結成されたバンド。田中栄二・春名正春・中道勝彦・好永立彦 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ TUG of C&A 会報「C&A広辞苑」より
- ^ “地下室の会メンバーリスト”. 2018年10月3日閲覧。
- ^ “「地下室の会」の歴史”. 2018年10月3日閲覧。
- ^ 『ベース・マガジン』(リットーミュージック、2005年5月)p.152~153より
- ^ CHAGE and ASKAのコンサート一覧
- ^ “VOTOMコミュmixi”. 2018年10月11日閲覧。。
- ^ “VOTOMオフィシャルFacebook”. 2018年10月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 『ベース・マガジン』(リットーミュージック、2005年5月)p.152,153
外部リンク
[編集]- 旅日記 (2012年3月27日 - )
- 惠美 直也 (@eminaoya) - X(旧Twitter)