愛ノ花初義
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愛ノ花 初義(あいのはな はつよし、1904年1月13日[1] - 1944年11月11日[2])は、愛媛県宇和島市出身[1]で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は宮川 初義[1]。最高位は十両2枚目[1]。
経歴
[編集]大阪相撲の押尾川部屋に入門。東西合併により、1927年5月三段目に付出される。1931年5月十両に昇進したが、2場所続けて負け越し、1932年1月場所の番付では幕下に落ちた。ところが、番付発表直後に起きた春秋園事件により、大量の幕内十両の脱退者が出たため、一転して十両残留となった。以後6場所連続十両の地位にあった。1934年1月に幕下に落ち、翌5月で廃業した[2]。1944年死去。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年