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愛新覚羅胤トウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
愛新覚羅胤禟から転送)
愛新覚羅胤禟
続柄 康熙帝九男

出生 1683年10月17日
死去 1726年9月22日
父親 康熙帝
母親 宜妃ゴロロ氏
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愛新覚羅 胤禟(あいしんかくら いんとう、満州語ᠠᡞᠰᡞᠨ ᡤᡞᠣᠷᠣ
ᡡᠨ ᡨᠠᠩ
、転写:aisin-gioro in-tang、1683年10月17日 - 1726年9月22日)は、康熙帝の九男。母は宜妃のゴロロ氏。名は雍正帝の即位後に允禟と改めている。

生涯

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康熙帝の時代、グサイ・ベイセ(固山貝子)に封じられた。思案敏捷で、外国語ができ、戦車を設計した。胤禩(康熙帝の八男)と特に仲が良かった。

雍正帝(康熙帝の四男)が即位すると、初め西寧駐在を命じられたが、着任が遅れたために弾劾された。雍正3年(1725年)に軍糧の横領で罪に問われ、接見した官僚に対する不遜な行いという口実でベイセ位を剥奪された。翌年、皇籍も剥奪され、サスヘ満州語ᠰᡝᠰᡥᡝ、転写:seshe、塞思黒)と改名させられた上、劣悪な環境に監禁された。まもなく、胤禟は「腹痛」で急死した。

乾隆帝により名と皇族の地位が回復され、子孫も皇族として扱われた。

関連項目

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参考文献

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  • 趙爾巽, 他100余名『清史稿』清史館, 民国17年 (1928)
  • 『星源集慶』
  • 馬斉, 張廷玉, 蒋廷錫, 等『聖祖仁皇帝實錄 (清實錄)』雍正9年 (1731)
  • 西林覚羅シリンギョロ氏鄂爾泰オルタイ, 等『世宗憲皇帝實錄 (清實錄)』乾隆6年 (1741)