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愛甲 兼達(あいこう かねさと、1863年1月8日(文久2年11月19日[1]) - 1928年(昭和3年)10月17日[2])は、明治から大正の実業家。
薩摩藩士津曲伝助の長男として鹿児島加治屋町に生まれ[1]、のち愛甲家の養子となる[3]。鹿児島銀行の前身である勤倹貯蓄銀行や鹿児島電気軌道、日本水電などの取締役のほかに十五銀行の頭取を歴任した[2]。
- 養子:愛甲勇吉(薩摩藩士・山本盛正の弟、テイの夫、東京地下鉄道取締役などを歴任)[3]
- 養子:愛甲テイ(薩摩藩士・樺山正長の娘、勇吉の妻)[3]
- ^ a b 『人事興信録』第4版、あ22頁
- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『愛甲兼達』 - コトバンク
- ^ a b c 『人事興信録』第8版、ア34頁
- 人事興信所編『人事興信録』第4版、人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。