コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

慈湖陵寝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
慈湖陵寝
慈湖陵寢
Cihu Mausoleum
詳細
開園 1975年
所在地
桃園市大渓区福安里4鄰埤尾3号
中華民国の旗 中華民国
座標 北緯24度50分32秒 東経121度17分58秒 / 北緯24.842116度 東経121.299394度 / 24.842116; 121.299394座標: 北緯24度50分32秒 東経121度17分58秒 / 北緯24.842116度 東経121.299394度 / 24.842116; 121.299394
種別 陵墓
運営者 国防部全民防衛動員署中国語版慈湖陵寢管理組
総面積 0.24 ha (0.59エーカー)
Find a Grave 22234
テンプレートを表示
慈湖陵寝
中華民国の旗 中華民国 文化資産
登録名称慈湖陵寝
旧称洞口賓館
慈湖賓館
等級歴史建築
文化資産登録
公告時期
2004年1月13日
建設年代1959年
開放時間09:00-17:00(週二不開放)
詳細登録資料

慈湖陵寝(じこりょうしん、: 慈湖陵寢)は、中華民国桃園市大渓区に所在する、初代中華民国総統蔣介石の棺が安置されている施設である。正式名称は先総統 蔣公陵寝(せんそうとう しょうこうりょうしん、: 先總統 蔣公陵寢)。

中華民国の文化資産(歴史建築)に指定されている[1]

沿革

[編集]

1909年明治42年)、現在の慈湖周辺に謙記煤礦という炭鉱が設立された。謙記煤礦は1917年大正6年)に大渓の豪商である簡阿牛中国語版によって買収されたが、彼の死後、売りに出された[2]。現在陵管処弁公室(管理事務所)がある場所には売店があり、午後になると仕事を終えた鉱夫たちで賑わっていた[2][3]

台湾光復後、中華民国総統蔣介石が大渓に滞在していた時に偶然当地を訪れた[2]。当地の湖や山の風景が故郷の浙江省奉化渓口鎮に似ていると感じた蔣介石は総統府に用地買収を指示し、ここに別荘を建てさせた[2][3]1959年(民国48年)に別荘が完成し、炭鉱の入口付近にあったことから洞口賓館と命名された[1][2]

1962年(民国51年)、蔣介石は母の王采玉への感謝を示すために当地を慈湖と命名し、洞口賓館を慈湖賓館に改称した[2][3][4]

1975年(民国64年)4月5日蔣介石が死去した中国語版。蔣介石は生前、自らの遺体を故郷の浙江省に埋葬することを希望し、長男で後継者の蔣経国反攻大陸が実現した暁には父の遺体を南京紫金山に埋葬すること[5]を望んでいたが、国共内戦中華人民共和国を建国した中国共産党との対立が続いていたため実現せず、慈湖賓館に棺が仮安置されて慈湖陵寝と改称された[1][6]

2018年(民国107年)2月28日、台湾独立派団体であるFETN蛮番島嶼社のメンバー10人が蔣介石の棺と肖像に赤いペンキをかけ、「支那権威を排除し台湾共和を創建する」と書かれた布を掲げて抗議運動を行った[7]。事件を受けて慈湖陵寝は閉鎖された[8]7月8日に一般開放が再開されたが、団体予約でのみ見学が可能となる特定の日以外は建物内に入ることができなくなった[8][9]。当局は建物の入口に設置されていた衝立を透明なガラスに置き換え、外からでも建物内部を見えるようにした。建物内部の映像をリアルタイムで中継するテレビも設置された[8]

慈湖紀念雕塑公園

[編集]

慈湖陵寝は石門水庫中国語版大渓老街中国語版拉拉山中国語版などの著名な観光地に近接しているため、大渓鎮公所は慈湖陵寝の隣に慈湖紀念雕塑公園を開設し、去蔣化運動により各地で撤去された大量の蔣介石像を展示するテーマパークとした。2017年(民国106年)現在、公園内には219体の蔣介石像、27体の孫文像、2体の蔣経国像が設置されている[10]

ギャラリー

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c 慈湖陵寢” (中国語). 國家文化資產網. 文化部文化資產局. 2019年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 台灣大百科全書 慈湖陵寢” (中国語). 文化部. 2021年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月21日閲覧。
  3. ^ a b c 台灣大百科全書 慈湖陵寢” (中国語). 文化部. 2024年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月21日閲覧。
  4. ^ 總統 蔣公哀思錄編纂小組 (1975). “慈湖介紹”. 總統 蔣公哀思錄 第一編 
  5. ^ “以待來日光復大陸,再奉安於南京紫金山”、《蔣總統經國先生言論著述彙編》第9輯
  6. ^ 石の台座に置かれたひつぎ 宙に浮く蒋介石父子の埋葬の地”. 産経新聞 (2020年10月7日). 2024年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月21日閲覧。
  7. ^ “向蔣介石棺柩潑漆 獨派青年:不該供奉228元凶” (中国語). 自由時報. (2018年2月28日). オリジナルの2018年3月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180308231555/http://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/2351999 2018年3月8日閲覧。 
  8. ^ a b c “潑漆四個月後慈湖重啟 除特定節日內部不開放” (中国語). 蘋果日報. オリジナルの2020年5月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200526032639/https://tw.appledaily.com/new/realtime/20180708/1387371/ 2018年7月8日閲覧。 
  9. ^ 故・蒋介石氏が眠る慈湖陵寝、再び一般開放へ”. Facebook. Taiwan Today 日本語版 (2018年7月13日). 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  10. ^ 這裡的蔣介石銅像最多 年吸客160萬人次” (中国語). 自由時報 (2017年2月28日). 2017年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月12日閲覧。

関連項目

[編集]