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慈眼寺 (高崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
慈眼寺
所在地 群馬県高崎市下滝町19
位置 北緯36度19分11.2秒 東経139度04分19.2秒 / 北緯36.319778度 東経139.072000度 / 36.319778; 139.072000座標: 北緯36度19分11.2秒 東経139度04分19.2秒 / 北緯36.319778度 東経139.072000度 / 36.319778; 139.072000
山号 華敷山
院号 補陀落院
宗派 高野山真言宗
創建年 天平年間(729年 - 749年
開山 良弁
中興年 文和元年(1352年)【第1次】、戦国時代前期【第2次】
中興 乗弘大徳【第1次】、上杉顕実【第2次】
文化財 江原源左衛門重久の墓(附 江原家文書)(群馬県指定史跡)、五鈷鈴・五鈷杵・金剛盤、「東長大事」一巻(以上、高崎市指定重要文化財)
公式サイト しだれ桜の慈眼寺|群馬県高崎市-華敷山補陀落院慈眼寺(滝の慈眼寺)は1250年の歴史を持つ、高野山真言宗のお寺です。
法人番号 3070005002049 ウィキデータを編集
慈眼寺の位置(群馬県内)
慈眼寺
慈眼寺
慈眼寺 (群馬県)
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慈眼寺(じげんじ)は、1250年の歴史を持つ、群馬県高崎市にある高野山真言宗寺院。境内のしだれ桜が有名。

なお、同市には高崎白衣大観音で知られ、院号が類似する慈眼院がある。そちらの寺も高野山真言宗である。

歴史

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天平年間(729年 - 749年)、良弁によって開山された。平安時代に、弘法大師空海も当寺を訪れている[1][2]

1352年文和元年)、乗弘大徳によって中興された。乗弘大徳は九州地方の出身であり、足利尊氏が九州に撤退(建武の乱参照)した際に知り合っていた。尊氏は乗弘大徳が当地にいることを知り、乗弘大徳のために寺を整備した[1][2]

戦国時代前期、関東管領上杉顕実によって再中興された[1]

江戸時代は、上野国西部の古義真言宗の中央寺院であった。僧侶の研修会が行われる「常法談所」であり、触頭でもあった[1][2]

境内には、江原源左衛門重久の墓がある。秋元長朝が開削した天狗岩用水を延長した人物である[2]

文化財

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  • 江原源左衛門重久の墓(附 江原家文書)(群馬県指定史跡 昭和26年4月24日指定)[3]
  • 五鈷鈴・五鈷杵・金剛盤(高崎市指定重要文化財 昭和51年1月14日指定)[4]
  • 「東長大事」一巻(高崎市指定重要文化財 平成4年3月2日指定)[5]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c d 慈眼寺について慈眼寺
  2. ^ a b c d 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年、66-67p
  3. ^ 群馬県内の県指定文化財一覧群馬県
  4. ^ 五鈷鈴・五鈷杵・金剛盤高崎市
  5. ^ 「東長大事」一巻高崎市

参考文献

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  • 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年

外部リンク

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