慈眼寺 (高崎市)
表示
慈眼寺 | |
---|---|
所在地 | 群馬県高崎市下滝町19 |
位置 | 北緯36度19分11.2秒 東経139度04分19.2秒 / 北緯36.319778度 東経139.072000度座標: 北緯36度19分11.2秒 東経139度04分19.2秒 / 北緯36.319778度 東経139.072000度 |
山号 | 華敷山 |
院号 | 補陀落院 |
宗派 | 高野山真言宗 |
創建年 | 天平年間(729年 - 749年) |
開山 | 良弁 |
中興年 | 文和元年(1352年)【第1次】、戦国時代前期【第2次】 |
中興 | 乗弘大徳【第1次】、上杉顕実【第2次】 |
文化財 | 江原源左衛門重久の墓(附 江原家文書)(群馬県指定史跡)、五鈷鈴・五鈷杵・金剛盤、「東長大事」一巻(以上、高崎市指定重要文化財) |
公式サイト | しだれ桜の慈眼寺|群馬県高崎市-華敷山補陀落院慈眼寺(滝の慈眼寺)は1250年の歴史を持つ、高野山真言宗のお寺です。 |
法人番号 | 3070005002049 |
慈眼寺(じげんじ)は、1250年の歴史を持つ、群馬県高崎市にある高野山真言宗の寺院。境内のしだれ桜が有名。
なお、同市には高崎白衣大観音で知られ、院号が類似する慈眼院がある。そちらの寺も高野山真言宗である。
歴史
[編集]天平年間(729年 - 749年)、良弁によって開山された。平安時代に、弘法大師空海も当寺を訪れている[1][2]。
1352年(文和元年)、乗弘大徳によって中興された。乗弘大徳は九州地方の出身であり、足利尊氏が九州に撤退(建武の乱参照)した際に知り合っていた。尊氏は乗弘大徳が当地にいることを知り、乗弘大徳のために寺を整備した[1][2]。
江戸時代は、上野国西部の古義真言宗の中央寺院であった。僧侶の研修会が行われる「常法談所」であり、触頭でもあった[1][2]。
境内には、江原源左衛門重久の墓がある。秋元長朝が開削した天狗岩用水を延長した人物である[2]。
文化財
[編集]- 江原源左衛門重久の墓(附 江原家文書)(群馬県指定史跡 昭和26年4月24日指定)[3]
- 五鈷鈴・五鈷杵・金剛盤(高崎市指定重要文化財 昭和51年1月14日指定)[4]
- 「東長大事」一巻(高崎市指定重要文化財 平成4年3月2日指定)[5]
交通アクセス
[編集]- 高崎玉村SICより車5分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年