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慶嬪金氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
慶嬪金氏
경빈 김씨
在位 1847年1907年

称号 順和宮
出生 (1832-08-27) 1832年8月27日
朝鮮国漢城府漢師漏洞悠然堂
大韓民国の旗 韓国ソウル特別市鐘路区
死去 (1907-06-01) 1907年6月1日(74歳没)
朝鮮国漢城府中部堅平坊順和宮
大韓民国の旗 韓国ソウル特別市鐘路区仁寺洞
埋葬 京畿道高陽市徳陽区西三陵慶嬪金氏墓
配偶者 憲宗
父親 金在清
母親 申命河の娘
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慶嬪 金氏(けいひん きんし、キョンビン キムシ、경빈 김씨、1832年旧暦8月27日 - 1907年旧暦4月21日(陽暦6月1日))は、李氏朝鮮の第24代国王憲宗の後宮。本貫は光山金氏

生涯

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1832年8月27日に悠然堂で誕生した。1847年に純元王后が憲宗にいまだに後継ぎがない事を憂い、そのため正式に後宮に選ばれ10月20日に慶嬪に冊封され[1]、君号を順和とした。

憲宗は昌徳宮内に楽善斎を作って自分と慶嬪金氏のために使い、同じ昌徳宮内に錫福軒を作って慶嬪金氏の家として使わせた。

1849年6月6日に憲宗が崩御すると純元王后正月王后を懸命に支え、孝定王后に礼を尽くして質素に生活した。

1907年6月1日に享年76歳で死去すると、高宗は深く哀悼の意を示し、直接弔文を作った[2]。7月5日に楊州徽慶園遷奉国内西麓巽坐に礼葬された。現在墓所は西三陵内貴人墓地にある[3]

家族

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参考文献

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  1. ^ 《조선왕조실록》 헌종 14권, 13년(1847 정미 / 청 도광(道光) 27년) 10월 20일(병인) 1번째기사
  2. ^ 《조선왕조실록》 고종 48권, 44년(1907 정미 / 대한 광무(光武) 11년) 6월 1일(양력) 1번째기사
  3. ^ 조선왕조실록 헌종실록, 고종실록, 순종실록, 경빈김씨묘지