戦列艦指揮官
戦列艦指揮官(せんれつかんしきかん、Befehlshaber der Linienschiffe、B. d. L.) は、かつてドイツ海軍(ヴァイマル共和国海軍およびドイツ国防軍海軍)に置かれた種類別司令官である。同海軍の保有する主力艦の管理を行った。
歴史
[編集]第一次世界大戦後、スカパ・フローでの抑留部隊の自沈とヴェルサイユ条約による賠償艦の引き渡し、戦艦の新規建造の制限により、ドイツ海軍は保有するすべての大型戦列艦 (Großlinienschiff ドイツ海軍においては弩級戦艦を指す) を喪失した。手元に残った戦列艦 (Linienschiffe ドイツ海軍においては前弩級戦艦を指す。標準型戦列艦 : Einheitslinienschiffとも) は、戦列艦戦隊にまとめられ、北海とバルト海の両艦隊に配属された。
1930年1月1日、海軍に残っていた4隻の戦列艦は、新設された戦列艦司令官の下に統合された。設立には北海艦隊司令部 (Befehlshaber der Seestreitkräfte der Nordsee : BSN) と戦列艦戦隊副司令部 (2. Admiral der Linienschiffsdivision) の人員が用いられた。戦列艦司令官は、巡洋艦以下の機動艦艇を管理する偵察部隊指揮官と共に艦隊司令官の指揮下に入った[1][2]。
戦列艦指揮官には海上での作戦指揮権はなく、各艦はあくまで各鎮守府、その後海軍集団司令部の司令官に従った。
1933年、装甲艦という新たな艦種に分類されたドイッチュラント級が就役し、これもBdLの管理下に入った。そして先立つ1930年に戦列艦エルザスが、1934年にヘッセンが退役したことで、管理下の艦は戦列艦と装甲艦がそれぞれ2隻ずつとなった。1935年の再軍備宣言とドイツ海軍への再編ののちもBdLはそれまでの業務を執り行ったが、戦列艦の退役と練習艦への転属、装甲艦の就役が進んだことから、1936年10月、戦列艦司令部は装甲艦司令部へと再編された[2][3]。
所属艦船
[編集]戦列艦
[編集]- ドイッチュラント級
- シュレスヴィヒ=ホルシュタイン (1935年9月まで。艦隊旗艦)
- シュレジエン (1935年9月まで。BdL旗艦)
- ブラウンシュヴァイク級
装甲艦
[編集]- ドイッチュラント級
- ドイッチュラント (1933年4月就役)
- アトミラール・シェーア (1933年4月就役)
- アトミラール・グラーフ・シュペー (1936年1月就役)
艦隊補給艦
[編集]歴代指揮官
[編集]ドイツ国海軍
[編集]- ヴァルター・フランツ中将:1930年1月1日 - 1930年2月27日
- リヒャルト・フェルスター少将:1930年2月27日 - 1932年9月27日
- マックス・バスティアン大佐/少将:1932年10月1日 - 1934年9月28日
- ロルフ・カールス少将:1934年9月29日 - 1935年5月20日
国防軍海軍
[編集]- ロルフ・カールス少将 1935年5月21日 - 1936年9月30日
脚注
[編集]- ^ ハンス・ヒルデブラント [in ドイツ語] (1993), Die deutschen Kriegsschiffe: Biographien : ein Spiegel der Marinegeschichte von 1815 bis zur Gegenwart (ドイツ語), Mundus Verlag, p. 108
- ^ a b ルドルフ・アブソロン (1969), Die Wehrmacht im Dritten Reich: 3. August 1934 bis 4. Februar 1938 (ドイツ語), H. Boldt, p. 166, ISBN 978-3-7646-1567-3。
- ^ ゲルド・リューレ (1937), Das Dritte Reich: Das vierte Jahr, 1936 (ドイツ語), Hummelverlag, p. 211