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戸崎誠喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戸崎 誠喜(とざき せいき、1910年明治43年)3月18日[1] - 2006年平成18年)7月3日)は、日本の実業家伊藤忠商事社長・会長を歴任。

経歴

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1910年(明治43年)熊本市新町に末吉の長男として生まれる。1934年(昭和9年)東京商科大学(現 一橋大学)卒、伊藤忠商事へ入社。繊維製品担当として大阪船場で活動[2]。1939年(昭和14年)オーストラリア駐在。1941年(昭和16年)8月帰国。1945年(昭和20年)ハノイ支店長代理[1]。1947年(昭和22年)福岡支店。1948年(昭和23年)8月東京支店繊維課長[3]、穀物部長代理、東京支店長代理[1]。1952年(昭和27年)米国ポートランド駐在[1]

1954年(昭和29年)伊藤忠アメリカ社長兼ニューヨーク事務所長。1959年(昭和34年)取締役に就任。1961年(昭和36年)代表取締役常務に就任。1964年(昭和39年)帰国、代表取締役専務に就任。1968年(昭和43年)代表取締役副社長に就任。1974年(昭和49年)6月代表取締役社長に就任[2][4]。1977年には、経営危機に陥っていた安宅産業を合併する[4]。1983年(昭和58年)代表取締役を退いて会長に就任[2]。1987年(昭和62年)会長を退任[2]

2006年(平成18年)7月3日、老衰のため自宅で死去、享年96[5]。死後、正四位に叙された。

その他、いすゞ自動車顧問、日本錦糸布輸出組合理事長、日本貿易会副会長、経済団体連合会常任理事、関税率審議会国民生活安定審議会各委員などを歴任した。

受章・受賞

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脚注

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  1. ^ a b c d 『経済界』1988年2月
  2. ^ a b c d 『財界』1974年12月
  3. ^ 『経済界』1973年12月
  4. ^ a b 戸崎誠喜氏死去/元伊藤忠商事社長”. 四国新聞社. 2024年1月7日閲覧。
  5. ^ “戸崎誠喜氏死去 元伊藤忠商事社長”. 共同通信. (2006年7月4日). https://web.archive.org/web/20141112223012/http://www.47news.jp/CN/200607/CN2006070401002309.html 2014年11月13日閲覧。 

参考

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  • 『日本紳士録』第69版、交詢社、1986年。

関連項目

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先代
越後正一
伊藤忠商事社長
1974年 - 1983年
次代
米倉功