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戸川安昶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戸川 安昶(とがわ やすてる、宝暦6年(1756年) - 天明6年10月8日1786年10月29日))は、江戸時代中期の幕臣旗本)。通称は隼人、のち内蔵助。

下野壬生藩譜代大名である鳥居忠意の十男として生まれ、先代・安熈の養子となる。安永6年(1777年)養父の死により家督を相続する。

在世中は、天明元年(1781年)5月21日の高梁川増水による水害で領内の田畑が冠水し、翌天明2年(1782年)も米・綿ともに不作となるに至り、領主米の支給(拝借米)をせざるを得なくなり、天明3年(1783年)市場村の44人(早島町市場)に9・無津村の22人(早島町無津)に3石・塩津村の25人(早島町塩津)に5石支給した。

天明6年10月8日没。跡目は子の安悌が継いだ。

系譜

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先代
戸川安熈
早島戸川家当主
8代:1777年 - 1786年
次代
戸川安悌