戸川村眞
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戸川 村眞(とがわ むらざね、元文3年(1738年)- 文化4年9月2日(1807年10月3日)は、江戸時代後期の幕臣(旗本)・知行3,000石。諱は安廉、村眞の順に変えた。通称は鎌次郎、のち左門、主膳の順に変えた。
先代・村由の子に生まれる。母は大沢基隆の娘。妻は酒井忠侯の娘、後妻は小笠原政方の娘。子に戸川安章。
明和元年(1764年)、父の隠居により家督相続する。相続当初から自然災害に悩まされた。天明元年(1781年)には、5月21日の大雨による高梁川の増水のため多くの田畑が冠水に見舞われ、農作物が被害を受けた。翌天明2年(1782年)より天候不順で米と綿が不作となり、この状態が数年続いた(天明の大飢饉)。このため、年貢収入が激減し、知行所の財政悪化を招いた。
江戸では、寄合肝煎・先鉄砲頭を歴任。布衣の着用を認められた。
文化4年(1807年)9月2日没。
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