戸沢秀盛
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『戸沢家歴代肖像』 | |
時代 | 戦国時代 |
生誕 | 文正元年(1466年)[1] |
死没 | 享禄2年8月13日(1529年9月15日)[2] |
別名 | 平九郎・忠盛[1] |
戒名 | 忠山的公大居士 |
官位 | 飛騨守[1]、治部大輔[3] |
氏族 | 戸沢氏 |
父母 | 父:戸沢征盛[1]、母:本堂政親の妹[1]、あるいは小笠原長之の娘[3] |
兄弟 | 秀盛、忠盛、政重 |
妻 | 正室:楢岡(小笠原)左馬介長祐の娘 |
子 | 道盛 |
戸沢 秀盛(とざわ ひでもり)は、出羽の戦国大名。戸沢氏第15代当主[1]。
第14代戸沢征盛の嫡男。母は本堂伊勢守政親の娘。享禄2年(1529年)に64歳で死去。跡を6歳の嫡男道盛が継いだ。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年9月。ISBN 4-404-01752-9。
- 嶺金太郎「戸沢年譜」『最上郡史料叢書』葛麓社、1925年。