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手塚省三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

手塚 省三(てづか しょうぞう、1886年明治19年)3月30日[1] - 1956年昭和31年)1月19日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。満洲国立大学哈爾濱学院院長。宮司。

来歴・人物

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福岡県に生まれる[2]福岡県立中学修猷館[3]を経て、1907年陸軍士官学校(第19期)、1916年陸軍大学校(第28期)卒業[2]

参謀本部部員、東京府豊島師範学校配属将校慶應義塾大学配属将校、陸軍士官学校戦術学部長、甲府連隊区司令官、佐世保要塞司令官、壱岐要塞司令官を歴任し、1936年陸軍少将に累進[2]1937年8月2日に待命、同月22日、予備役に編入[1][4]。同年9月11日、日中戦争に応召し第10軍第18師団の歩兵第35旅団長として参戦[1][4]杭州湾に敵前上陸し、1937年11月9日、嘉善付近の戦闘で戦傷を受けた[1][4]

1939年満洲国立大学哈爾濱学院教授に就任し、同学院長に進み1943年退任[2]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

戦後は福岡縣護國神社宮司を務めている[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e 福川秀樹 & 芙蓉書房出版, p. 484.
  2. ^ a b c d 人事興信所 1943, p. テ2.
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館230年記念』同窓会員5頁。
  4. ^ a b c 外山操 1981, p. 244–245.
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
  6. ^ 夕刊フクニチ新聞社 1956, p. 159.

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録』《下》(14版)人事興信所、1943年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704455  - 210コマ目左下。
  • 夕刊フクニチ新聞社 編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。 
  • 『修猷館同窓会名簿 修猷館230年記念』修猷館同窓会、2015年。