手荘町
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(手荘村から転送)
てのしょうちょう 手荘町 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 手荘町、大賀村、高山村 → 川上町 |
現在の自治体 | 高梁市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 川上郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,826人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 成羽町、日里村、大賀村、高山村、富家村 |
手荘町役場 | |
所在地 | 岡山県川上郡手荘町地頭 |
ウィキプロジェクト |
手荘町(てのしょうちょう[1])は、岡山県川上郡にあった町。現在の高梁市の一部にあたる。
地理
[編集]成羽川支流・領家川と同支流・三沢川の流域に位置していた[2]。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、川上郡地頭村、領家村、三沢村、七地村、臘数村(一部、字本村)、佐々木村(一部、字吉木)が合併して村制施行し、手荘村が発足[1][2]。旧村名を継承した地頭、領家、三沢、七地、臘数の5大字と、吉木を加えた6大字を編成[2]。
- 1950年(昭和25年)4月1日、手荘村が町制施行し手荘町となる[1][2]。
- 1954年(昭和29年)4月1日、川上郡大賀村、高山村と合併し、川上町を新設して廃止された[1][2]。合併後、川上町大字地頭・領家・三沢・七地・臘数・吉木となる[2]。
地名の由来
[編集]中世の手荘に由来[2]。
産業
[編集]- 農業[2]
教育
[編集]- 1946年(昭和21年)私立手荘農林学院(大字領家)開校[2]。1950年(昭和25年)県営に移管され県立成羽高等学校(現岡山県立高梁城南高等学校)手荘校舎となり農業科を設置[2]。
- 1947年(昭和22年)手荘中学校開校[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 33 岡山県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。