抵塁政策

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抵塁政策(ているいせいさく、英語touch base policyタッチベース政策)は、1970年代中国大陸から多くの難民香港へ不法入境していたのに応じ、香港政府不法移民に場合によって居住権を与える制度であった。

背景[編集]

中華人民共和国が成立した後で、中国大陸で大躍進による大飢饉や、文化大革命などの内乱は発生した。また、朝鮮戦争において、国際連合による中国への経済制裁が行われた。多くの難民は中国共産党の統治を恐れ、当時イギリス植民地の香港へ流入し、美しく穏やかな生活を目指していた。[1]

採用と廃止[編集]

1974年、香港政府は不法移民に対して、抵塁政策を採用した。香港側では、不法移民者が界限街の北の“新界エリア”で発見された場合は、中国大陸へ強制送還された。一方、界限街の南の“シティエリア”まで着いた場合(野球ホームベースに達するのと同じ)は、入境の手続きを経て居住権が与えられた。[2]

政策のおかげで、中国大陸から若い労働力を受け入れ、香港工業の発展を促したが、数年後、香港の労働者が過剰になり、人口増加に対する圧力は強まったため、香港政府は1980年10月23日に廃止することになり、これから不法入境者が香港のどこかで捕まった場合、すぐに中国大陸へ強制送還された。[3]

脚注[編集]

  1. ^ 中国からの不法移民―香港への密航を中心に―
  2. ^ 香港住民の行動様式に関する一考察
  3. ^ 香港の歴史